ラブレイダースの伴奏を合図に舞台で場面転換が行われる。今日は昼間の公演であるため舞台転換の作業も夜公演ほど大掛かりなものではなく、それでいて神経を使うものだった。
 ジタンは裏方としてその作業を手伝い、仕事が終わると身繕いを済ませて鈍色のマントを羽織る。『君の小鳥になりたい』の最後の山場はまだ先だ。フードは被らず肩に落とす。
 観客から決して見えないよう舞台袖からマーカスの演技を見ていたジタンの傍に、バクーが並んだ。レア王の衣装はその威厳を表すため登場人物の誰より豪華で幅をとる。観客から姿が見えてしまわないように、バクーはジタンの背後で肩身が狭そうに立っていた。
 レア王の出番までは少し余裕がある。頭に叩き込まれている脚本を思い返し、ジタンは彼が今着ているのと同じマントを羽織って演技をするマーカスから視線を外してバクーと肩を並べた。
「悪いな。劇をぶち壊すことになって……」
「なあに、二年前に比べれば痛くも痒くもねぇさ!」
 そう言ってニカッと笑うバクーの厚い肩は、かつてはジタンの目線と同じくらいの高さにあったはずなのに、今はもうジタンの肩との差はほとんどない。それだけの時間が流れた。その間ジタンとバクーが会わなかったわけではないが、軍務や勉強に忙しいジタンと公演で飛び回るバクーとでは都合をつけにくい。それだけでなく、二人の立場の差を考えて無闇に会わないように心掛けていたというのもあった。
「そういや、ジタン。会場にはカルノたちも来てるのは知ってるか? おめえ、あいつらと面識あるんだろうが」
「ああ。ジタンじゃなくてアレスとしてだけどな」
 アレクサンドリア女王直々に招待を受けた子供たちは、国賓ではないので一般観客席に着いていた。しかし、そこは眺めが良く舞台も余すことなく観れて、未だお披露目の済んでいないリンドブルム公女エーコと影武者を立てているブルメシア王パックという国賓も同席する、非公式の国賓席だ。
 ふいに、観劇席から歓声が上がる。
 マーカスは、その名前と同じマーカス役を熱演している。タンタラスで『君の小鳥になりたい』を演じるときに名前が同じだからと冗談半分に配役したのだが、自他共に認める嵌り役だ。
 その嵌り役も、今回だけ、ある場面ではジタンが務めることになる。
「シドの計画はどうするんだ? バラされちゃ、せっかくのサプライズが台無しだろうが。あいつ、かなり楽しみにしているぞ」
「知合いに言伝を頼んでおいたから大丈夫だって。子供は秘密が好きだしな」
「ってことは、あのチビの嬢ちゃんも内緒にしてくれるのか」
「チビって……ボス、それエーコの前で言ったら刺されるぞ。たぶん」
 ジタンは白魔法のお蔭ですっかり治って傷跡すら残っていない腹部を擦った。
 何があったのかジタンは知らないが、エーコとバクーはあまり仲が良くない。バクーからチビなんて言われたら、今も立派なレディーを目指しているエーコは穏やかでいられないだろう。
 てっきり冗談を笑ってくれるものとジタンは思っていたのだが、バクーは無表情でジタンを見つめているだけだった。
「ボス?」
「それ、もうやめろ」
「へ?」
「明日から俺のことはバクーって呼べ。もう、日陰者として生きる必要なんざねえじゃねえか」
 そういえば、旅の終盤では「バクー」と呼ぶようになっていたはずなのに、いつの間にか呼び名が「ボス」に戻っていた。
 タンタラス団は一面では犯罪集団だが、街の悪ガキや孤児を集めて独り立ちするまで面倒を見てくれる場所でもある。タンタラスを巣立っていった人間は、ジタンの知る限り全員が、ボスと慕っていた男を対等な立場の人間として「バクー」と呼んでいる。バクーを「バクー」と呼ぶことには大きな意味があるのだ。
「ま、小鳥を捕まえ損ねて泣いて帰ってきたら『ボス』でもいいがなあ! ガハハハ!」
「ボス……」
「俺たちが最高の舞台を用意してやってるんだから、最高の幕引きにしてこい!」
「うっ」
 なんの前触れもなく急に身体を襲った衝撃に、ジタンは小さな呻き声を漏らした。バクーは衣装の高貴さなど気にせず太鼓腹を叩いて笑いながら奈落へ消えていった。
「腹の一発に手加減しないのは相変わらずかよ」
 あのときも、ジタンはタンタラスを抜けようとしていた。そして、バクーはジタンの腹に拳を決めると背を向けて笑いながら立ち去った。
 もしかしたら、これは彼なりの照れ隠しなのかもしれない。





 『船出』のシーンが始まる。
 夜明け前の青白い空気を演出する照明の中を、ジタンは足音を潜めて歩いていく。上手のほうからは、シナが人目を気にする様子で歩いてきた。
 亡命の手筈を確認し、待ち合わせの時間になっても現れないコーネリア姫を心配する台詞を諳んじる。ジタンとマーカスは何年も同じ舞台に立った仲で、事前に声質もできる限り似せたうえに目深にマントを被っているため、マーカス役を演じている役者が入れ換わっているなど誰も思いはしないだろう。ロイヤルシートに座っている彼女も。
 場面は夜明けを迎え、照明が色を変えて書割に白い鳥の群れが現れる。
「東の空が明るくなった……。太陽は我らを祝福してくれなかったか。私たちは、あの鳥のように、自由に翼を広げることすらできないのか」
 船出の準備をすると告げて、シナが立ち去った。
 舞台の上にはジタンしかいない。観客の視線はジタンだけに注がれている。
「信じるんだ! 信じれば、願いは必ずかなう!」
 信じることも大切だが、それだけでは鳥に手が届くことはない。
「太陽が祝福してくれぬのならふたつの月に語りかけよう! おお、月の光よ、どうか私の願いを届けてくれ!」
 ジタンは信じて待つだけなんて手段はとらなかった。
 やはりマーカス役に嵌っているのはマーカスであって自分ではないのだと、ジタンは口元だけで小さく笑う。
「会わせてくれ、愛しのダガーに!」
 肩の留具を毟るように外してマントを脱ぎ捨て、観客席のほうへ振り返る。それまで遮られていた日差しが刺さり、ジタンは目を細めた。
 アレクサンドリア女王の座るロイヤルシートと劇が演じられる舞台とは、身分の差を見せつけるように遠い。しかし、彼女はジタンを見間違えないはずだ。ジタンがどんなに離れていても彼女を見失わないのと同じように。
 旅していたときと違い宝石や絹の糸で着飾りキラキラと輝く彼女は、シートから立ち上がり、ジタンの姿を確かめようと手摺から身を乗り出す。ジタンはマントを脱ぎ去った姿勢のまま、彼女の動きを見つめ続けていた。
 別れたときではなく初めて会ったときと同じくらいの長さになった黒髪を翻し、手摺の陰に彼女の姿が消えた。
 二年前にアレクサンドリア城へ忍び込んだときの情景を思い出す。そちらには城内へ通じる扉がある。その扉の向こうに、今ジタンが立っている舞台へ続く通路がある。
 ジタンはダガーが現れるだろう扉に向かってゆっくりと歩き出した。状況が理解できていない観客は、役者が辻褄の合わないセリフを叫んだうえに舞台から降りようとしているのを見て困惑した様子で騒いでいるが、そんなの知ったことではない。
「帰って来たぜ、ダガー」
 ジタンの呟きに誘われるように、人だかりを掻き分けて愛しい影が飛び出して来る。





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2012.04.01