兵士の休憩室で、ジタンは久し振りにロナルドと話をしていた。
 城の各所にある休憩所とは違い、娯楽室とトレーニングルームとが併設された城に二箇所しかない大きな休憩室には喧騒が絶えず、下手に空き部屋を探すよりも秘密の話がしやすくて、なかなかの穴場だ。といっても、今の二人は誰にも聞かれたくない重要な話をしているわけではなくて、ただコーヒーを飲みながら情勢や貴族の勢力図について話しているだけだった。そんな話しかしていなかったので偶然居合わせたニーダの同席も許している。だが、ロナルドの隣に座る彼は静かに話を聞いているだけで、時々意見を訊いたとき以外は口を開かずに控えていた。
 ジタンが外側の大陸から帰還して二ヶ月が過ぎ、ジタンとロナルドの階級は少佐まで上がっていた。先の大戦で上級下級に関わらず多くの兵を失ったリンドブルム軍は、昇格の速度が常よりも早く行われるようになっていた。当然ながら見合う能力が備わっていることが前提ではあるが、霧の大戦終結後に軍役に就いた兵士でも部下を任された者がたいへん多く、その中でもジタンとロナルドは一番の出世頭だ。ジタンは外側の大陸で働きが認められ、ロナルドはジタンが外側の大陸へ遠征している間にリンドブルムを襲ったヴァイスの大群の掃討への貢献が認められたために、久し振りに顔を合わせたときは互いに佐官になっていた。
「隊長、ロナルド少佐、同席してもよろしいですか?」
 見計らっていたように会話が区切れたときにかけられた声に振り返ると、そこにはジタンが休憩に入っても仕事を続けていたワッツが立っていた。
「おお、ワッツおつかれさま。遠慮なんかしてないで、ここ座れよ」
「失礼します」
「どうぞ」
 ワッツだけでなく先ほどはニーダも、偶然訪れたこの休憩所で溢れ返る他隊の人間の中からいとも容易くジタンとロナルドを見付け出していた。それは、どんなに人で溢れ返っていようと佐官――それも一番の出世頭と名高い二人が揃っていれば目立ってしまうからだ。とくにジタンはトランスの能力を周囲に知られたので、一躍有名人になってしまった。
 ジタンは初めてトランスをしたときにスタイナーが驚いていたのを憶えはていたが、霧の大戦でともに戦った仲間たちのほとんどがトランス能力を持っていたためにそれを珍しい事と考えていなかった。だが、それはジタンも含めた仲間が粒揃いだっただけで、一般的に見るとトランスとはたいへん珍しい能力らしい。女性のリンドブルム武官で最も高い地位にいるのはロナルドの上司のジェシー・クーン少将なのだが、彼女がそこまで出世できたのはトランス能力を持っているからだと言われている。もちろん実力主義のリンドブルム軍を突発的・短期的に発現する能力だけで伸し上がれるわけがないのだから他にもいろいろと有能な女性なのだが、彼女がトランス能力を持っていなかったら将官になるのは夢のまた夢だったのはたしかだろう。
 外側の大陸での話が広まって以降、周囲のジタンに対する注目度は鰻上りだ。身の上を隠している現状で目立つのは居心地が悪いが、求める舞台に立つための有名税と思えば仕方がない。
「そういえば、隊長、また可愛らしい手紙が届いていましたよ」
「おお、そうか」
「可愛らしい?」
「ああ、オレの友人の子供からの手紙だ」
 ジタンの交友関係からは無縁そうな形容詞にロナルドが形のいい眉をわずかにひそめるが、ジタンの言葉で腑に落ちたように頷いてコーヒーを口にする。
 ジタンもコーヒーの香を楽しむ。そうして思い出すのは、六人の子供たちのことだ。
「まったく、あいつらときたら年の割には筆まめ揃いだよなあ」
「隊長が好きだからでしょう」
 ワッツの言う通り、ジタンはビビの子供たちに懐かれている。しかし、ジタンはそれが解せなかった。なにせ、ヴァリア・ピラを倒して外側の大陸での異変を治めた後に、ジタンはマダイン・サリでカルノとニーシェとピッセたちに加えて残り三人の兄弟とミコトもまとめて説教したのだ。にもかかわらず、悪くいえば下らなく良く言えば微笑ましい日常をしたためた手紙がリンドブルムに戻ったジタンのもとに頻繁に届くようになった。一番厳しく言い聞かせた次男坊のカルノに至っては、タンタラスに入団したという報告の手紙まで寄越してきた。といってもジタンの正体は教えてないのだからジタンに倣ったわけではないだろうし、盗賊としてではなく飛空艇技師としてシナに師事するためらしいから、そこまで不安になる必要はないだろうが。
 黙ってコーヒーを飲んでいるロナルドもカルノのことを考えているのだろう。以前ジタンとロナルドが共にビッグス隊の代理として公国東部に駐屯していたときに内々でタンタラスへ協力を依頼したことがあったのだが、ロナルドはその縁を頼ってヴァイス掃討の際にもタンタラスと共同戦線を張ったらしく、ジタンが遠征から帰ってみればバクーたちとずいぶん仲良くなっていて驚いた。ついこの前もルシエラからもらった花を執務室に飾っていたから、年齢を問わずそれなりに深い交流をしているらしい。
「それにしても、隊長は年の離れた友人が多いですよね。ポールの兄さんとも知り合いですし、そもそも仕官したのが大公殿下の紹介でしょう?」
 つまり、ワッツは手紙の差出人の父でジタンの友人――ようはビビのことなのだが――がジタンよりもだいぶ年上の者だと思っているのだ。ワッツは十歳前後の外見をした子供たちと会っているのだから無理もない。
「ああ、まあな」
 彼らは生後一年くらいで、その父親も去年の夏に二年足らずの生涯を終えたばかりだ、言ったところでどうにもならず、ジタンは適当に頷いた。
 けれど、たしかにワッツの言う通り、ジタンの交友関係には年齢の壁がない。子供たちと遊ぶのも好きだし大人と話すのも得意な方だ。思えば、ジタンがアレスと名乗っていることを知るサラマンダーとエーコだって、それぞれ上と下に十歳も差がある。もうしばらく会っていないが大切な仲間だと呼べるスタイナーとは、二十近く齢が違ったはずだ。
 アレス隊も、叩き上げの人間が多いせいで隊長のジタンが若年層に含まれるような年齢分布になっている。それでも齢の差を不自由に感じたことはなく、励ますときも怒るときも息抜きするときも年齢を考えたことはないし、部下たちも年齢をしがらみと思うことなく付いてきてくれる。それはとても恵まれた環境だろう。
 そう思ったままを言うと、ワッツは目を丸くして瞬きを繰り返し、くうと目を細めて幼い子供のように笑った。
「隊長って、不思議ですよね」
「は?」
「正直、隊長とロナルド少佐の昇進具合は普通じゃありません。もちろん、お二人とも見合った活躍をされているからですし、隊長に至ってはトランスできるほどの実力を持っていらっしゃるからですが、やはり普通じゃありません。羨み妬む者も多いくらいの目覚ましさです」
「お、おぅ……」
「ですが、隊長は昇格を言い渡されたときより、自分たちと飲んで馬鹿騒ぎしているときや子供たちからの手紙を読んでいるときのほうが嬉しそうです」
「仲間なんだから当然だろ」
 何も考えずに返すと、ワッツは楽しそうに声を上げて笑った。わけが分からずに眉を寄せてロナルドとニーダを見れば、ロナルドは我関せずといった風に無表情のままで、ニーダは微笑ましいと言わんばかりの柔らかい表情でジタンとワッツを見ている。
 首を傾げながらコーヒーを飲んでいると、すぐに笑いの波が去ったワッツが再びジタンに話し始めた。
「あ、報告するの忘れていました」
「今度はなんだ」
「まだ裏はとっていないんですが、両隊長に昇進の話があるという噂を耳にしましたよ」
「この時期に昇進か? アレス、何かしたのか」
「いや。いろいろあったけど、昇進に繋がるような事はなにもないな」
 エーコに正体がバレて重傷を負わされた末に寝込んだ事は大きな出来事だが、階級とは全く関係ない事件だ。
「そうか。……どちらにしろ、貰えるものを貰っておいて損はないだろう。とくにアレスはな」
 ジタンは、一国の主に並んでも遜色ないような地位を目指しているのだ。遠慮して昇進を辞退するような真似をするはずがない。
 軍役に就くようになって、ジタンはどこまでも地位に貪欲だった。人を蹴落としたり騙したりするような方法はポリシーに反するため使うことはないが、昇進に繋がるような仕事は決して逃しはしなかったし、回された仕事は必ずやり遂げた。おかげで、上層部の覚えは良い。
 大公に目を掛けられていても、所詮ジタンは流れ者で、大家と縁があるわけでもなく、褒賞として様々な物を拝領しているが土地だけは断っているから現在でも身軽な寮住まいで、ふよふよと浮く根無し草のような存在のままだ。しかし、そんな身ではあっても努力のおかげか、縁談の話が持ち上がるようにもなってきた。当然ながら結婚するつもりはなく、シドやオルベルタに協力してもらって本格的に話が進む前に立ち消えになるように画策しているが、そういった話がそれなりの格の家から来るようになったことは、自分がどんどん愛しい人に近付いている事の証のようで嬉しい。
「まあな。高く飛べるに越したことはないぜ」
 国民の誰もが知っているような有名人にはまだ程遠いが、国の要人の多くが注目するまでにアレス・オクティクスの名は広まっていた。





BACK    MENU    NEXT


2012.01.15