資料室の中には大量の資料が整然と仕舞い込まれていた。狭いと感じたのは資料やそれを仕舞う箱や箱を収める棚があったせいで、改めて調べてみれば資料室はなかなかに広いものだった。
急遽、兵の配置を変更して広間で資料を検めることとなり、資料室から一列に並んだ兵たちがリズム良く次々と箱を手渡して箱が運び出される。
それらの箱のほとんど全てに、目立つ場所に似通った紋章が描かれていた。
「どれもアレクサンドロス家の伝統に則った紋章だね。何種類もある」
資料室の出入口に最も近い辺りから移された箱には1401年にアレクサンドロス王権を復活させたブロス女王の紋章が、そして出入口から最も遠く最も古い資料が詰まった箱にもまた、紋章が描かれていた。連なる三座の山から突き出る剣と輝く三つの星が描かれた楕円の盾、その上に掛けられた麦穂の冠、盾の下には花畑、花畑の下には巻物があり、巻物には三大古代文字の一つヴィエラ文字で『散るとも種を残し』と記されている。
「これは、フローラの紋章ですね」
「アレス大尉は知っているのかい?」
「アレクサンドロス六世の紋章です。しかも巻物が加えられているということはベンティナス家に王権を奪われた後のものです」
「一番古いと見える紋章がフローラ女王の物で、一番新しく見える紋章がブロス女王の物ということは、ここにある物は全てベンティナス王権時代の資料ということか」
「これは……世界的な発見ですよ」
霧の三大国一の長さを持つアレクサンドリア王国の歴史の中で、在位期間が一年にも満たなかった女王がいた。それが第六代アレクサンドリア君主フローラ・ドラウトだ。彼女が戴冠して間もなくベンティナス家率いる軍が王都に攻め入り、アレクサンドロス家はフローラを筆頭とする本家とその近親者を中心に国政どころか王国内から姿を消した。アレクサンドロス本家が表舞台に登場するのは、ブロス・クリアリン率いる軍が王都に攻め入りベンティナス家から王座を奪い返したときだ。それまで、アレクサンドリア王国の歴史の半分近い四百年以上の長きに亘りアレクサンドロス家は沈黙を続けていた。
その間の歴史が、今ジタンたちの目の前に広がっている。
「それにしても、アレス大尉はずいぶんと博識ですね」
「いえ、そんな大したものではありません」
言わずもがな、フローラ女王にまつわる品はレア物で、彼女の紋章が入った――中でも巻物が加えられてある紋章が刻まれた――品は超レア級の大物だ。そして、盗賊だったジタンはそういうレアな物品の特徴は一通り憶えているのだ。大陸を超えて世界中を旅したおかげで鑑識眼も冴え、物の質だけでなく、どの地域で買えば安く手に入ってどの地域で売れば高くなるかなどの知識まで身に付いた。それが全て盗賊根性によるものなので、自慢にはならないどころか口にするわけにもいかない。
「どの資料もたいへん価値のある物だ。全て慎重に扱い、順番や配置を混同することのないように」
イサールの命令に歯切れ良い返事が返ると、一斉に資料探しが始まる。
西方開拓団派遣時と違ってここに学者はいないが、兵役には城壁などの建設事業も含まれるために、図面を読める兵も僅かながらいる。また悲しいことだが、アトモス襲撃時に多くの人員を失った影響で現在のリンドブルム兵には職人上がりの者が多く、とくにアレス隊には図面を読める者が多かった。そういった者たちが数多くある図面から必要な図面を選分けていく。
二度目の見張り交代を目前にして、現在の宮殿の構造を把握することができた。
整理された図面をもとに今いる広間から地上に出るまでの最良のルートと作戦を立てていたとき、イサール隊の兵が慌てた様子で駆け寄ってきた。その腕には大事そうに古ぼけた紙の束が抱えられている。
「宮殿に備わっている装置の設計図面です。――いえ、装置と言うよりも魔物と言ったほうがいいかもしれません」
そう言ってものものしく広げられた設計図には、扁平になったオベリスクのようなシルエットと、その他諸々の細かな図面が描かれていた。
その装置の名前はヴァリア・ピラ。この宮殿を護るための強力な防御装置というよりも玉座に座るものを護る装置だったようで、宮殿内の各所にある装置と情報を共有して宮殿内の監視をし、緊急時には攻撃モードへ切り替わって君主に危害を加えようとする存在の排除にあたる。
それだけでなく、このヴァリア・ピラには驚くべき性能が備わっていた。
「魔物を操る能力、だと……?」
「正確には、特有の音波を放出して魔物の平静を奪うもののようです。同士討ちをさせることもできれば、他種族との共存もでき、魔物を立ち入らせないようにすることも可能。一種の混乱魔法……いえ、どちらかと言えば、アレス大尉が上陸時に使われた鳴子に通じるものでしょう」
これにより、魔物を宮殿から追い出すこともできれば、宮殿内で魔物のいる部屋といない部屋を確立することすらできる。また、魔物をけしかけて人を襲わせることすら可能だ。
「では、今回の魔物の異変というのは、このヴァリア・ピラの暴走が起こしたというのか」
「何者かが操っていたのならば全てに説明がつきます」
ヴァリア・ピラの設計図面を囲んで額を突き合わせていた隊長たちは視線を交わし合い、誰からともなく神妙に頷きあった。
ジタンは部下たちとともに薄暗がりで息を潜め、時が来るのを今か今かと待っていた。
最奥に位置し、各所に点在する出入口へ繋がる転移装置がある玉座の間には、最後の砦とも呼べる防御装置であり今回の騒動の原因と思われるヴァリア・ピラが仕掛けられている。しかし、その装置を出現させるためには玉座に座す者に刃を掛けられるほど近くに立つ必要があった。
今、玉座の周りには数匹のグリムロックがうろついている。適切な防御態勢をとって回復を怠らない限り恐れる必要のない魔物だが、油断はできない。そこへ、アレス隊の三人が近付いていった。
――私たちだけで、ヴァリア・ピラを破壊しよう。
今回の異変の原因と思われる物がこの宮殿にあるという情報を手に入れ、イサールは決断を下した。
先遣隊として船を発ったイサール隊を始めとする部隊は軽装で小回りの利く者を中心とした編隊となっており、それでいてマローダ隊のような防御に優れた隊やアレス隊のように変化と適応力に優れた隊もあり、また回復手にも困らない部隊だ。一方、ビッグス本隊は攻防優れた重装備兵で有名で、高い機動力と突破力を有するものの大物の得物が多い。
戦闘はヴァリア・ピラのいる玉座の間――つまり屋内になるだろうから、戦闘可能人数に限りが出てくるし、将軍の部隊を呼んでも手狭になるだけで利は少ない。逆に、今ここにいる部隊のほうが今回の任務遂行には適しているだろう。ジタンたちがグルグストーンを取りに行っていたときに残されたパーティーで撃破できたのだから、この部隊での撃破も可能だ。
ただ不安は拭いきれない。それは、ヴァリア・ピラがどれだけの自立性を有しているのか、現在どのような機能に設定されているかなどが不明であるから。そして、この部隊の中心に三人の子供がいるからだ。
今回の作戦は、アレス隊から選出された三人が装置を発動させたら出現したヴァリア・ピラへ集中砲火を浴びせるという、至極単純なものだ。しかし、ヴァリア・ピラの能力もだが、ヴァリア・ピラが呼び寄せる魔物の数が計り知れなかった。そのため、玉座正面や何層にも重なり玉座を環視するように弧を描いて伸びる回廊に配された攻撃部隊の背後には、挟み打ちを想定した迎撃部隊が配されている。
本当なら安全な場所に隔離しておきたいところだが、魔物の出現に関して絶対的な主導権をヴァリア・ピラが握っている今、子供たちを護るためには人の壁で囲むしかない。そして前も後も前線になりうる編隊で一番安全な場所は、最も陣が厚くなっているアレス隊とイサール本隊との間――玉座の真正面だった。
安全だがある意味で一番危険と思える場所に置くことになり、何もかも行動を制限すると反発したくなるだろうと考えて、子供たちには「もしものときには君たちの黒魔法の腕に頼りたいから、そのときまで体力を温存していてくれ」と言っておいた。目論見通り、子供たちは満足そうに頷いていた。
ジタンはもちろん、兵の誰もが子供たちを戦闘に加えようとは思っていない。誰もが『もしものとき』が訪れなければいい、そんなときが訪れないようにすればいい、と思っていた。
「防御システムニ反応アリ! 侵入者ヲ発見シマシタ! コレヨリ、侵入者ヲ排除スルタメ、広域防御モードカラ、攻撃モードニ変更シマス!」
玉座の間に響く無機質な声に全兵が構えをとる。装置を発動させた三人は素早く退いて隊列に戻る。三人を追って迫りくるグリムロックに、上の回廊から飛んできた矢が振りかかった。
第一の矢の波が途切れたとき、玉座を背に庇うようにしてヴァリア・ピラが現れた。床から生えるように現れた装置と同じように、次々と魔物が現れる。その数は、狭い足場で戦闘可能な上限ぎりぎりといったところか。
魔物の足止めを食らうことは分かりきっていたので、作戦通りにアレス隊は湧いて出る魔物の足をひたすら食い止めて、回廊に配された遠中距離攻撃部隊がヴァリア・ピラに攻撃を与え続ける。
耳に飛び込んでくる音から背後からの攻撃があるのだとわかっていが、作戦の読みが正しかったのと現れる魔物全てがすでに戦闘したことのある種族だったため陣形は安定している。決定打に欠ける上にヴァリア・ピラが反射魔法を掛ける度に魔法攻撃の手が止まるので長期戦になりそうだが、劣勢になる気配はないまま、長いこと戦闘音が続いていた。
しかし、戦況の変化というのは常にこちらの不意を衝くのだ。
玉座に向かって右側上階の回廊から獣の唸り声と悲鳴が響く。ジタンは目の前のスクイドラーケンをマサムネで斬り伏せて、数瞬だけ視線を遣る。そこでは迎撃隊を突破したクアールが跋扈していた。ヴァリア・ピラを狙っていた弓隊たちは背後を衝かれた形になり、反撃も出来ないまま牙の餌食になる。
「くそっ」
ここで誰かが助けに行けば陣形が崩れて、一気に劣勢に回るだろう。それが分かっていた兵士たちは唇を噛みながら一層の力を込めて攻撃を続ける。
そのとき、高い声が空気を引き裂いた。
「
夜の女神よ、柔らかく囁き静かに唄い、彼の者たちを深き眠りに至らせたまえ――スリプル!」
ジタンの背後から声が上がった数瞬後に、クアールたちが重い音を立てて崩れ落ちる。何匹か効果のなかったクアールもいたうえに何人かの兵が巻き添えを食ってくずおれたが、意識のある兵が意識のあるクアールを集中的に攻撃して倒すと戦況が持ち直った。
「ピッセ、よくやった!」
「へへっ」
カルノに褒められて、ピッセが笑みを溢す。戦闘を続けるジタンからは見えない光景だが、その様は容易に思い描くことができた。きっと、ピッセは誇らしそうにしながらも照れて帽子を被り直していることだろう。
それを機に、それまで背に迫ってきていた緊迫感が背を押す力に変わっていく。カルノとニーシェも要所々々で魔法を放ち、子供に負けてはいられないとリンドブルム軍が勢いづく。周りの大人たちにつられて子供たちも勢いづいていく。
それでも終わりが見える気配もなく、淡々と戦闘は続いていた。
倒しても倒しても文字通り湧いて出る魔物に舌打ちが漏れたとき、ふとジタンの視界にニーシェが映った。その位置に気付いて、耳が凍りつきそうなほど血の気が引いた。
ニーシェは完全に前線に立っていた。彼女は、早く退がらせなければと口を開いたジタンよりも早く、言葉を放った。
「
黒き巨人よ、獰猛なる炎をもって眼前を紅蓮に染めよ!――ファイラ!」
ニーシェの手元で集約された魔力が赤い色に凝縮し、膨張し、玉座の周辺一帯へ襲いかかる。子供とは思えない迫力に、何人かの兵が感嘆の息を吐いた。しかし、固体ではなく全体へ放たれた魔法は、ニーシェの幼さ故か進度が若干遅かった。舐めるように魔物に襲いかかる炎がヴァリア・ピラに到達するのに、数瞬の間があった。
凶悪な防御装置がその間を見逃すはずがなかった。
「まずいっ!」
淡紅色の光がヴァリア・ピラの前に広がる。一瞬にも満たない僅かな差で、魔法が壁にぶつかる。反射魔法の存在を浮き彫りにするように不自然にヴァリア・ピラを包んだ炎は、激しさをそのままに向きを変えて、不安定な軌道を描きながらこちらへ弾き返された。
兵たちは持ち前の反射神経で回避をする。カッツという兵がすぐ隣にいたニーシェの襟首を掴んで避けようとしたが、呆然としていたニーシェの足がもつれて倒れてしまい、ニーシェとカッツが前線に取り残される。
「ニーシェ!」
ジタンは何も考えないまま、叫びながら駆け出したカルノとピッセを引き倒して前線へと飛び出す。そして、ニーシェと彼女を抱きしめて盾を構えるカッツの前に立った。
反射的に腕で顔を庇ったジタンの全身を熱が包み込み、数秒後にはタンパク質が燃焼する不快な匂いを残して消えた。
「隊長!」
「ア、レス……」
背後からの声を聞いて二人が無事なのは判ったが、振り返って改めて確認する。カッツは少し熱を浴びたようだが、ニーシェは全くの無傷だ。
「アレス……ごめん、なさい」
無傷ではあったが、ニーシェの瞳には恐怖と後悔とがない交ぜになって揺れていた。
ドクン。
波音のように鼓動が頭蓋に響いた。
ニーシェの金の瞳を見つめるジタンの鼓動が、強くなっていく。脈動が鼓膜を力強く叩く。
気が高ぶるのがわかった。身体に力が溢れていく。先ほどのファイラとは異質の熱がジタンの身体を包み込み、紅の光が波のように幾重にも重なって放たれた。
「お前たちは退がってろ」
ジタンの急激な変貌に呆然としていたカッツは慌てて頷き、同様に驚いて口を開けたままのニーシェを抱えて退がっていく。ジタンの様子に気付いて次に起こることを察したのか、他の部隊も一斉に玉座の間の入口まで前線を引き下げた。
身体の芯も頭の中心も熱く滾っているのにジタンの眼は不思議なほど冷静で、状況を正確に把握していた。
玉座の間に残っているのは、魔物とヴァリア・ピラとジタンだけだ。ヴァリア・ピラは兵が退いたことで生まれた空間に次々と魔物を呼び出していく。その数すら、今のジタンになら正確に答えられる気がした。ジタンが放つ気迫に圧されてジリジリと下がっていく魔物たちの筋の動き一つすら、今のジタンにはわかる。
研ぎ澄まされたジタンが、回廊にいるクアールたちが通路の奥へ向かって駆けだしたことに気付かないはずもなかった。
「逃がすかぁああ!」
ジタンの叫びとともに空気が濃密になり、次の瞬間、玉座の間が紅に染まった。
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