力押しでもいけるという予想通り、物理防御に特化した状態のグリムロックがジタンの一撃で崩れ落ちる。
 金属の擦れるような耳障りな断末魔が途絶えてからグリムロックに近付き、確かに息の根が止まっているかを確認すると、ジタンは戦闘に加わっていた者たちへ振り返った。
「死傷者は?」
「怪我人が三名。全員移動に支障はありません」
「よし。そろそろ休憩を挟めるだろうから、薬は温存して魔法で回復しておくように。ただし、白魔道士はいつでもエーテルを使えるように準備しとけよ」
「はっ」
 素早く動き出す兵士たちを確認して、ジタンは手元に視線を落とした。手の中には愛用のオリハルコンが握られている。
 軽く掌を開いて見てみると、オリハルコンの柄はぱっくりと割れてしまっていた。外側の大陸に上陸してすぐの戦闘からどこか違和感を覚えていて、先ほどの地上でのトロールとの対戦時から不安に思っていて、先ほどグリムロックを斬りつけていたときにも変な感触を感じていたが、とうとう寿命がきたらしい。これではもう使い物にならない。
 ジタンは小さく舌打ちをこぼしながら、オリハルコンを鞘に入れると適当にあった革紐で大雑把に固定して道具袋に突っ込んだ。
「ラッド、マサムネをくれ!」
「はい、只今!」
 怪我人の回復を終えたばかりの隊員が、背に負っていた特製のホルダーを外しながら駆け寄ってくる。ラッドは開拓団からジタンの部隊に所属していて、モルボル襲撃後には白魔法の能力を駆使して他の術者たちとともに多くの隊員の怪我を治療してくれた馴染みの兵士だ。今は、屋内という環境を考えて白魔法の心得のある者たちは部隊の中心に配して体力温存に努めてもらっているので、黒魔道士の村で買っておいた盗賊刀マサムネを装備してもらっている。装備といっても、もちろんラッドはマサムネを扱うだけの腕はないのだが。
 ジタンは礼を言うと、ラッドからホルダーに収まったままのマサムネを受け取って手早く装備する。
 ラッドはマサムネを渡してどこかほっとした表情を浮かべた。直々に預かっていた隊長の武器を無事に返すことができたからなのか、それとも使うこともできない重い装備品を手放すことができたからなのか。おそらく両方なのだろう。
 盗賊刀はダガー類と比べるととても重い。握りを中心にして両方に刃が伸びるので、その重量はへたな騎士剣よりも重いくらいだ。それでも、オリハルコンの使い心地に違和感を覚えていたため、村で買い求めてここまで持ってきた。そして、村で購入できる武器で一番攻撃力があるのはマサムネだった。
 装備が重くなるのでオリハルコンを使っているときほど素早くは動けないが、隊を率いている今は単身で気軽に隊列を下げたり敵の懐に飛び込んだりとできる立場ではないので重量には目を瞑ることにした。けれど、オリハルコンを装備しながら重い武器を装備しているのは馬鹿げていると思い、戦闘に立つこともなく大して素早さの求められない配置のラッドに預けていたのだ。が、使うこともできない重い武器を装備しているのも負担だったろう。
 ジタンが改めて礼を言うと、ラッドは嬉しそうに敬礼を返して自分の配置に戻った。
「さて、と」
 宮殿内に弧を描く廊下のちょうどジタンが立っている所から放射線状に延びた廊下の奥に、暗がりに沈むように大きな扉が見える。
(宮殿の門って、この前に戦闘してた所の山向こうだったよな……)
 クジャに騙されて付いていった黒魔道士たちを追ったときは四つの流砂のうちの一つが入口だったが、それはジタンたちを効率良く牢獄へ閉じ込めるための一時的なものだったから今は使えない。飛空艇用の出入口は、テラ崩壊後のイーファの根の暴走によって潰されてしまっていた。しかし、宮殿を築いたときに想定されていた本来の入口が山脈の影にある。ジタンとクジャが意識不明の間、ブランクたちはそこから出入りしていて、ジタンもそこを潜ってリンドブルムへ発った。早くその出入口へ行きたい気持は山々なのだが、今ジタンたちがいる場所からそこへ通じる道が分からない。
 結局、勝手の分からない宮殿を無闇に進むよりも虱潰しに部屋を調べていって安全地帯を広げていった方が得策だろう、ということで、斥候のアレス隊は部屋を一つひとつ確認していた。
 薄暗い中、選出した数名の部下とともにジタンは扉の向こうに踏み込む。
 そこは、全体的に埃を被った広間だった。
 安全を確認してイサールに報告すると、その広間を新たな拠点とすることになり、出入口と廊下の外と周辺に立つ見張番以外は掃除や荷物整理などに追われる。
 常に漂わせている研ぎ澄まされた緊張感が緩んだため、カルノたちは好奇心に負けてあちらこちらに視線を移り換えていた。邪魔にしかならない装飾品を集めて積み上げた広間の片隅で、装飾品の上に乗って壁やら天井やらを指差してお喋りをしている。
「まったく、あいつらといったら……」
 ジタンの一喝が効いたのか兵の邪魔をしないようには気をつけているようだが、呑気なことには変わりない。戦い慣れている者たちと一緒とはいえ、こんな殺伐とした状況で笑って暇潰しができるとは恐れ入る。
 そんなことを思っていると、ぽんと肩に手が置かれた。振り返れば楽しそうに笑ったイサールがいて、ジタンの肩を二度叩いた彼はカルノたちの方へ歩いていった。その誘うような雰囲気に、ジタンもまた、カルノたちの下へ向かうことにした。
 隊長職は、作戦に変更がない限り、部下に指示を出してしまえば作業が完了するまで結構暇な立場だ。少し前ならジタンも雑務に混じっていただろうが、イサールの忠言によって今は部下たちの動きを把握するだけに止めている。イサールは、ジタンと同じく部下と肩を並べて働くことに抵抗がない人間だったが、隊長として一歩下がって構える重要さを身を以ってジタンに教えてくれた人間でもあった。
 イサールとジタンがそっと隣に並んだとき、カルノたちの興味は兵たちの寄せた装飾品に埋もれている壁へ向かっていた。そこに掛かっている布を手や杖で払っては舞い立つ埃に咳をして、おかしそうに笑いながら布を眺めている。
「これはまた見事なタペストリーだ。本物の花が茂っているみたいだね」
「ヨアケソウ――初夏から晩夏まで咲く花だよ。夏の始めに咲く花は赤味が強くて、中頃には真っ白な花が付いて、夏の終わりに咲く花は青白いんだよ。それが朝日を思わせるから『夜明け草』って名付けられたんだって」
 誇らしげに小さな胸を張ってピッセがイサールを振り返る。しかし、イサールのすぐ後ろにジタンが立っていることに気付くと「あっ、ごめんなさい」と言って表情を曇らせた。
「ここには魔物も出ないみたいだし、気にしなくていいさ。ピッセは花に詳しいんだな」
「うん。植物の事ならどんなに分厚い本でも読めるんだ!」
 すぐに戻ってきた笑顔に、ジタンもふっと口元を緩める。
「でも、このヨアケソウは本じゃなくて父さんから教えてもらったんだよ。家の裏にヨアケソウがいっぱい生えていて、そこで教えてもらったんだ。父さんの育った家の近くにも少しだけ生えている場所があって、そこで父さんはおじいさんから教えてもらったんだって」
 『ビビのおじいさん』とはクワンのことだろう。ジタンがビビと知合う前に亡くなってしまった彼とは当然のことながら面識はないが、どんな人かはビビとクイナから教えてもらい知っていた。ジタンと同じくクワンと面識のないはずのクイナは興奮して『食』や『想像』について語るばかりで要領を得ないし、ビビは意味深に笑って肝心なことは教えてくれないしで、結局ジタンには詳しいことは分からずじまいだったが。
 二人とも嬉しそうだから別にいいかと追究を諦めたジタンに分かったことは、ただ、クワンは優しくて思慮深い人だったという事だ。そして、物知りなクワンは、いろんなことをビビに教えたという事。
「そうか……受け継がれていくんだな」
「あたしたちの父さんは黒魔法の腕もピカイチだったんだ! 兵隊さんなんて誰も敵わないんだから!」
「へえ、それはすごいね」
「俺たちは父さん直々に教わったから、兄弟全員、黒魔法の腕は大人にだって負けないぜ!」
 カルノの言う通り、彼らの魔法の腕は尋常ではなかった。まだ上級魔法を使いこなすことはできないようだが、中級魔法は少しなら安定して扱える。年齢からは考えられない腕前だ。それぞれ、カルノは氷系魔法が、ニーシェは炎系魔法が、ピッセは状態異常系魔法が得意らしい。しかもニーシェに至ってはラニに師事しているらしく、白魔法も使うわ回廊に飾られていた鎧が持っていた斧を振り回すわで、なおさら年齢に見合わない逞しさを備えている。
「でも、ここでは戦おうと思うなよ」
「ちぇっ!」
「ったく、文句を言うなって」
 唇を尖らせながらとんがり帽子を揺らすカルノたちに、ジタンは呆れて肩を竦める。同意を求めようと隣を見てみると、イサールは目をすがめて壁を凝視していた。
「大佐?」
 殺気を感じもしなければ戦闘態勢にも入っていないようなので敵ではないのだろうが、壁を見ても何がイサールの気を引いているのか分からなかった。
 イサールは、ふと眼を見開くと人差し指を壁へ向けた。
「大尉……あの、タペストリーの端をご覧」
「端、ですか?」
「右端の中央より少し上に、埃が付いている」
「ほ、ほこり?」
 なぜそんな物を、と思いながらグローブに包まれた指の先を辿ると、美しい白の小花が描かれたタペストリーの端に、たしかに風に揺れる大きな綿埃が付いていた。おそらく子供たちが払い損ねたものだろう。全体的に埃を被ったこの広間では別に珍しい物ではない。
 イサールはどうしてこんな物を凝視するのかと眉根を寄せるジタンへ手を振るように、綿埃は風にその身を揺らす。
「……! カッツ、ボイル、ラディッシュ、来い!」
「マローダ、子供たちを頼む!」
 ジタンとイサールの声に、緊張の緩みかけていた空気が一気に張りつめる。
「隊長、どうされたのですか」
「調べたい場所がある。きっと隠し扉だ」
 なぜ出入口のほぼ反対側の壁にあるタペストリーに風が当るのか。なぜ綿埃は壁に対して垂直方向になびくのか。――考えられるのは、タペストリーに隠された壁の向こうから風が吹いているという事だ。
 イサールにはカルノたちとともに少し遠ざかってもらい、二人掛かりで重厚なタペストリーを外す。すると、隠れていた部分のちょうど中央に燭台が穿たれて設けられていた。魔法で点けると言うニーシェをなだめてマッチで蝋燭に火を灯すと、その明かりを増幅させたように燭台自体が光を放つ。
「退がれ!」
 岩同士が擦り合うような硬く重い音が辺りに響き、広間中の兵士が口を閉ざす。数秒すると埃を舞い立たせながら壁がドアのように開き始め、数十秒して音とともに動きを止めた。開いた先には人一人が潜れるような暗い穴がぽっかりと広がり、弱い風を吐き出してジタンたちを威嚇していた。
 狭い空間でマサムネは振り回せないので、ジタンはダガーとマインゴーシュを構えて隠し部屋へ踏み込んだ。が、敵が出ることはなくて、広間以上に薄暗くて広間と比べるまでもなく狭く、乾いた風が漂い湿っぽさもカビ臭さもない部屋の全貌は少しもせずに把握できた。
 そこには、ジタンたちが求めているものがあった。
 その隠し部屋は、宮殿に関する資料が山と積まれた資料庫だったのだ。





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2011.10.29