海風が吹くおかげで風に砂が混じることはないが、キエラ砂漠の砂が返す白々とした陽の光が眩しくて、船から降りた兵たちは揃って険しい表情で目を細めている。
三日前、根走と呼ばれるドワーフ族の伝令部隊が重要な知らせを携えて村に来た。
なんでも、大陸の東に広がるキエラ砂漠から生息地に関係なく多くの魔物が現れるらしい。情報源は、外側の大陸北部にあるモグネット本部からマダイン・サリに避難してきたモーグリたちだ。彼らの目撃証言によって、異変に深く関わっている場所の目星がついたのだ。
しかし、黒魔道士の村からキエラ砂漠へ行くには険峻な山を越えなければならない。そんな行軍は負担が大き過ぎるし、キエラ砂漠に行って調査だけで済む可能性は低い。下手をすればそのまま異変の原因の排除に取り掛かる必要があるかもしれないと判断された。そうなると住人を護るために村に兵を割くのは痛手となり、拠点に戻る度に大陸の横断と山越えを余儀なくされるというのは非常に効率が悪い。
何度かの話合いの末、ルシル島に着けている船を再びゲカルチ海岸に着けて村の住人をマダイン・サリへ海路で避難させ、その船を今度はキエラ砂漠の東にあるファルステッドコーストに着けて、その軍艦を拠点に異変の調査に出ることとなった。今はコンデヤ・パタにも黒魔道士の村にもチョコボ一匹いない。
「大尉さん、船酔いはしてないドか?」
軍艦から降りてきたゴンスケが飄々と訊いてくる。このところ調子の悪いオリハルコンを確認していたジタンにつられたのか、彼も背に負った武骨な剣を確かめるように撫でていた。
「平気だって。石槌連のみんなこそ、大丈夫か? 船は初めてなんだろ」
婚儀の際に神聖な乗り物『おみこし舟』に乗るドワーフたちは、誰一人として水に浮かぶ船には乗ったことがない。だが、石槌たちの順応性が高かったからか大きい船で揺れが小さくて済んだからか、「なんの問題もないド」と言うゴンスケは足取りも軽い。他の石槌にも、酷く酔っている者はいないらしい。
リンドブルム軍としては、石槌連にもマダイン・サリに残ってほしかった。当初から非戦闘員の警護に割かれていた兵はそのまま島に残しているし、今日明日中に本国からの援軍が到着する予定だが、石槌連も住人を護ってくれると心強い。けれど、軍の要請に応えて石槌連の大半がマダイン・サリに残る中、ゴンスケを始めとする、サボテンダーの大群を越えて援軍に駆け付けてくれた石槌たちは承知せず、ここまで付いてきていた。
「兵隊さんらは装備がなっとらんド。そんな靴じゃ、サボテンダーの群れを越えることは無理だド」
ゴンスケは器用に片足立つと、履いているサンダルを見せびらかす。石槌連が揃いで装備しているサンダルは小さなテーブルのように四隅に足がある造りで、たとえリンドブルム軍に人数分支給されても、使いこなせずにこけつまろびつして終わるだろう。ジタンたちには砂漠や沼地などの悪路を想定して作られているデザートブーツで充分だ。
「おっ、もうすぐ出発だド」
ゴンスケの言う通り、大した時間も経たないうちにリンドブルム軍はキエラ砂漠に足を踏み入れた。
しかし、原因の調査を進める間もなく行軍の足は止まり、トロールとの戦闘が繰り広げられた。例によって例の如く、トロールは多くの同胞を連れていた。
「白魔道士部隊は決して前線に出るな!」
トロールが分泌する特殊な粘液にはバーサクの効果がある。回復の立役者であり体力が他に劣る白魔道士部隊がバーサクにかかってしまうと、戦況が大きく悪化してしまう可能性が高い。
先日と同じくジタンの部隊は先頭を進んでいて、今回の行軍の大将を任されたイサールは後方中央を進んでいた。トロールは後方から襲いかかってきたため、白魔道士部隊を擁する大将の部隊が前線に立つ形になったが、トロールの攻撃パターンとバーサクの脅威に関しては事前に通達しておいたため、陣形が迅速に整っていく。
その様を確認しながらも、ジタンは周囲に目を走らせる。
砂漠は魔物にとっても住処とするに過酷な環境であるらしく、周辺でのさばる魔物すら砂漠に現れることはまれだ。ただ例外として、アントリオンとランドウォームの存在がある。
アントリオンは擂鉢状の流砂を避ければ遭遇しないし、ランドウォームは遠目からでも存在を視認できるほど図体が大きくて、どちらも戦闘の回避は容易い。だが、どちらもトロールなどに比べて格段に体力のある生物なので、一度戦端が開かれてしまうと困難を極めるだろう。今回の魔物の異変の中に「普段は単独でしか行動しない魔物が、複数で連携をとって襲ってくるようになった」というものがあるので、基本単独でしか現れないアントリオンとランドウォームも複数で行動している可能性もある。ただでさえ苦戦するだろう魔物が複数で現れたとしたら、目も当てられない。
そして、ジタンの不安は的中した。
最初はちらちらと風に舞う程度だった砂が、呼吸をする度に濃くなっていく。
「砂嵐がきたぞ!」
「総員、防御態勢をとって待機! 回復は各自でこまめに行うように!」
砂嵐のせいで状況を把握し辛かったが、トロールたちも砂嵐に巻き込まれたようで、戦闘音は聞こえず風の音ばかりが耳を覆っている。
数分の間こう着状態が続き、視界も効かず音も拾えずに身動きするべきではない状況だったが、ジタンは何かに突き動かされるように咄嗟に背後を振り返り、オリハルコンとマインゴーシュを掲げた。
瞬間、奥歯が痺れるような金属音を響かせて、大きな槍穂が短剣の交差した部分に落とされた。強靭な膂力が込められた一撃に腕の筋が一瞬痺れるが、気力で持ち堪えてトロールの背後を窺うと、風に舞う砂の向こうに緑の巨体が幾体も並んでいるのが薄っすらと見てとれた。
(こんな砂嵐の中で攻撃を!?)
この状況の中でジタンが反応できたのは、偏に多くの戦いを経験してきたことで培ってきた身体能力と直感の賜物だろう。他の兵たちでは、砂嵐で身動きが取れないところを一撃でやられてしまいかねない。
「前方にもトロールの群れ! 攻撃体勢を取っている! アレス隊、防御態勢を取れ!」
「白魔道士部隊は、アレス隊にプロテスを! 砂嵐が止むまで持ち堪えるんだ!」
耳を覆う風を裂くようにイサールの声が届き、少しもしないうちにアレス隊の隊員たちの身体は黄色の光を放ち始める。その明滅を繰り返す光はプロテスが掛かった印だ。
この砂嵐がいつまで続くかわからないが、自然発生的なものではなくランドウォームが起こしているのだからそう長くは続かないだろうし、もともと比較的タフな面子が揃えられているアレス隊のことだから、これでずいぶん長く持ち堪えられる。
しかし、楽観はしていられなかった。
(砂嵐が晴れたら四方八方敵だらけ、なんて笑えないよな)
ジタンは目の前のトロールの攻撃を受け流し反撃を加えながら、策を考えていた。いろいろな策が浮かびはするのだが、どれも力任せなワンマンプレーばかりで、思い付く度にイサールの怒り顔が脳裏をよぎる。
想像のイサールがジタンの策を却下していく間も、反撃の手は緩めない。だが砂嵐で視界が効かないために大きな攻撃を与えることができず、不用意に陣を崩すわけにもいかないからトロールからの攻撃を待ってカウンターを加えるくらいしかできない。
思わず舌打ちを漏らしたとき、足に違和感を覚えた。踏み締めた地面からの反発が弱く、頼りない。それだけでなく次第に重心が傾いていく。
「うわっ、とっ!」
音もなく足が砂に沈んでいく。
「アントリオンだ!!」
時を同じくして何人かの隊員が絶望を孕ませた声で叫ぶのを聞いたが、なんとか抜け出ようともがくジタンたちを嘲笑うように身体はみるみる流砂に引きずられていき、下半身が砂に埋まり、上半身が埋まり、頭の天辺まで砂に呑まれ、ジタンの意識はほどなくして闇に呑み込まれた。
「――ょう! ――いちょう! アレス隊長!」
名前を呼ばれ、ジタンは勢いよく飛び起きた。起きた拍子に耳の中に入っていた砂がサラサラと流れて、何とも言えない不快さに背筋を震わせる。
「お気付きになられましたか」
安堵の溜息を吐く部下に言葉をかけようと口を開いた途端、喉の奥から捻り出すような荒い咳が込み上げる。流砂に呑まれる直前、咄嗟に空気を吸い込んだときに一緒に砂も吸ってしまっていたらしい。
ひとまず、渦に巻き込まれても腰から離れずにぶら下がっていた水筒の水で口を漱ぐと、ジタンは急き込んで質問を口にした。
「みんなは無事か!?」
「確認できた者は全員傷ひとつありません。しかし、まだ気絶している者もいます」
「アントリオンは!?」
「ご安心ください、あれは誤認でした。皆、アントリオンの巣が出現したと思いましたが、実際には砂が地下空間に流れ込んでできた渦だったようです。我々がいるのも、その空間です」
「そうか……」
服や髪に入り込んだ砂を払い、ブーツに流れ込んだ砂を出してから、ジタンは部下と一緒に状況確認にあたった。幸い、早くに意識を取り戻していたワッツが大半の確認を終えていて、その報告だけで大体の把握ができた。
「それにしても、変だな」
「隊長もそう思われますか」
ジタンとワッツは二人して首を傾げる。突如出現した渦によって敵から逃れられたことは幸運と言えるのだが、この現象には不審な点が多かった。
まず、この空間にはアレス隊しかいない事。渦の出現場所が隊の近くだったから、と考えればそうおかしな事でもないのかもしれないが、アレス隊の誰一人として欠けることなく渦に巻き込まれているのだ。本陣から離れていたわけでもないのに、まるで選定したようにアレス隊だけ落ちているのは変だ。
次に、流砂に巻き込まれたはずなのに、ジタンたちがいる空間にはあまり砂がない事。一隊を巻き込むくらいの流砂ならば今いる空間も砂に埋もれていいはずなのに、足跡がくっきり残せる程度の砂しか落ちておらず、歩いていて砂に足を取られるようなこともない。
そして、この空間があまりにも整っている事。飛空艇一隻がなんとか入りそうな広い空間が円状に広がり、規則正しく柱が立ち並んでいる。少しだけ、グルグ火山の最奥にある広間に似ていた。
「まあ、脱出するにも全員起きなけりゃ始まらないし、ちょっくら辺りを調べるか」
こういった場所は、たいてい柱か床の中央に重要な仕掛けが仕込まれているものだ。ジタンは盗賊の勘を働かせ、地下空間の中央に立つと足先で地面の砂を払い始めた。石材が露わになり、材に刻まれた紋様が浮かび上がってくる。ワッツを含め、手の空いている数人で砂を払っていくと、半径がヒトの背丈ほどある円陣が現れた。
「これは……転移装置?」
持ち寄ったランプに照らされて浮かび上がるのは、嫌と言うほど世話になったテラの技術だった。やはり、ここはクジャの隠れ家の一画なのだろう。
しかし、こんなに大きな物は見たことがない。よく見ようとジタンがしゃがみ込んだとき、転移装置が青白い光を放った。
陣の近くにいた兵たちが素早く飛び退いて戦闘態勢を取る。
ジタンも陣から飛び退くと武器を構えるが、右手の中でオリハルコンが不穏な感触を返した。嫌な汗が顎を伝う。
転移装置から放たれる光は強く濃く広がっていき、膨張しきると、だんだんと収束を始める。薄っすらと光の中に見える影は、後退してもなお傍近くに迫るほど大きい。
青白く染まっていた空気がランプの橙色に染まりだすと、そこには大量の人が溢れていた。転移装置から現れたのは、飛竜の紋が刻まれている軽量化された鎧を着た兵士たちだった。
「イサール大佐、ご無事でしたか!」
「やあ、大尉。君の部隊も無事なようで良かったよ。こちらはトロールたちとの戦闘で負傷したけれど、全員無事だ。村民のおかげだよ」
「村民?」
「情けない話だが、彼らに助けられてね」
イサールの陰に隠れて見えなかった小さな影が、とんがり帽子を揺らしながらジタンの前に歩き出た。カルノ、ニーシェ、ピッセの三人だ。
「お前ら、なんでいるんだ!?」
「装置を動かしたんだよ。誰がやったのかは知らないけど、さっきの発動でみんなを移すことはできなかったみたいだから、僕らがもう一回動かしてイサールさんたちを連れて来たんだ」
饒舌に説明するのはピッセだ。勉強好きの彼は一見すると温厚そうだが、実際は外ではしゃぎ回るのが大好きで、カルノとニーシェと一緒にジタンを手合わせに誘うほど好戦的でもある。
「そうじゃ、なくて――」
「ああ、どうやって来たのかって意味かあ! 一緒に船に乗ってきたんだよ。カルノは船マニアだから、あんな典型的な造りの船に忍び込むのなんてわけないからねー」
「兵隊さんはここらの魔物のことよく知らないだろ。オレたちはよく知ってるから手助けに来たんだ!」
ジタンの言葉を遮って眩暈がしそうなことを言い放ったニーシェも自信満々に言うカルノも、服の所々が破けていて、傷こそ治されているが明らかに怪我をした跡が見られる。ピッセも似た有様だった。なのに、三人とも何事もないように笑っている。
その可愛らしい笑みを見て、ジタンは我慢の限界を迎えた。
「いったい、なに考えているんだ!!」
ジタンの怒声に、ジタンの部隊だけでなく他の兵たちも反射的に姿勢を正した。ビリビリと空気が震え、どこか遠くで砂が流れ落ちる音が聞こえた。
しかし、怒りを向けられている三人の子供はキョトンとした表情でこちらを見上げている。ジタンの表情から怒られていることには気付いたらしいが、なぜこんなに怒られるのか分からずに困惑していた。
それも当然だ。子供たちにとって、ジタンは海の向こうの国から来た兵士の一人でしかない。ジタンの休憩時間に手合わせをしていたから他の兵よりは親しいと思ってくれているだろうし、言動からミコトの知人だと知っているだろうが、こんな風に怒られる筋合いはないと感じてもおかしくない。
けれどジタンにとって、彼らが自らを危険に曝すのは許し難い事だった。
「大尉、落ち着くんだ」
イサールの静かな声が聞こえ、ジタンは子供たちから視線を外して大きく息を吐いた。
「まずは現状を確認しよう。――点呼を」
不意に転移されたアレス隊とは違い、カルノたちの手で転移してきた兵たちに気を失っている者はいなかった。先の戦闘で傷を負った者は少なくないが、戦闘離脱ができたおかげで死者は一人としていない。
「ここは、村で大尉とミコトさんが言っていた地下宮殿かい?」
「おそらく。けれど、あまり奥深くまで入ったわけではないので宮殿内部の詳細は分かりません。この空間に来た憶えもありません。ミコトも大して知らないそうです」
「設計図があればいいんですが、そう都合良くはいかないでしょうね」
今後の作戦を立てるために隊長たちが集まって話し合うが、名案は浮かびそうにない。
他の者よりこの界隈に詳しいジタンも、この宮殿に関してはお手上げだった。ジタンをウイユヴェールへ向かわせるための人質にされていたエーコたちは宮殿内を歩き回ったらしいが、ジタンは牢獄とクジャの居室と療養に使った部屋くらいしか知らない。
下手に地上に戻っても、再び魔物に囲まれる可能性が高い。それに、カルノたちが連れてきたボビィ=コーウェンは足を怪我していて、なんとか身動きはとれるようだが誰かを背に乗せることはできそうにないから、大規模な戦闘はできるだけ避けたかった。走れないチョコボでは、子供たちを任せて帰すこともできないし、そもそもあの三人が素直に帰ってくれるとも思えない。
今いる空間を拠点に慎重に行動範囲を広げていき、脱出を図るのが最善策だろう。
「ところで、大尉は今回の遠征であの子供たち知り合ったのだと思っていましたが、ずいぶんと、その……親しいようですね」
「彼らの親代わりだというミコトさんの兄なのだから、おかしいことではないだろう」
指摘した部隊長もそれに返すイサールも、歯切れが悪かった。締めるところは締めるが基本的に気安く、注意するときも上から怒鳴りつけるようなことをしないジタンがまだ年端もいかない子供に対して激昂したせいだろう。
ビッグスを始めとする何人かには、ミコトが自分の妹だと話していた。ジタンはリンドブルム軍に籍を置いて以降、変に注目されないよう尻尾を隠し続けてきたから、ここでもジェノムたちとは無関係の振りをしようと考えていたのだが、そういった機微が理解できないミコトに普通に話し掛けられて、白状することになってしまったのだ。しかし、妹だと紹介されたミコトが文句を言わなかったのが嬉しかったから、ジタンは自分の出身地が外側の大陸だと思われてもあまり気にしていなかった。
それに、ワッツのように「シドの養女と目されている人物が外側の大陸に縁がある」という情報を掴んでいる者たちは、却ってジタンの台頭に得心がいったようだった。
けれど、ジタンがカルノたちを怒鳴った理由は、全く別のところにあってミコトとは関係がない。
「……カルノたちの父親は、私の大切な友人です」
彼らの父でありジタンの友であるビビは、ジェノムを黒魔道士の村に預けるときに「ジェノムと黒魔道士が解かり合うことで、人間とも解かり合って一緒に住めるようになるかもしれない」と言っていた。しかし定められた寿命のせいで、人間と暮らすことなくほとんどの黒魔道士たちは生を終えていった。その中で、ビビの子供たちは願いを叶えられる唯一の希望なのだ。
それにも拘らず危険に飛び込み、あまっさえヘラヘラと笑っている子供たちを見ていて、怒りを抑えきれなかった。
「カルノくんたちは私の部隊が護る。彼らは保護対象だ、傷ひとつ負わせるつもりはないよ。アレス大尉は安心して、引き続き先頭を行ってくれ」
「はっ」
ジタンは広間の端の方に座っているカルノたちを横目で窺う。
三人の子供は、いまだに動揺を湛えた金色の瞳でジタンを見返していた。
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