パキン。
 硬く高い音が辺りで幾つも響いた。それは、ジタンの手元でも鳴ったものだった。
「まったく。左からの攻撃に弱いって、みんなから注意されてただろ」
 ジタンが言葉を投げた先には、開拓団から任務をともにしていた直属の部下が横たわっている。
 その身体、とくに左半身はボロボロに傷付き血に染まっていた。首にある深い噛み傷が致命傷となったのだろう。左の眼球と耳は魔物の胃袋に収まってしまったのだろうか、辺りを見渡しても他の兵の死体が並び魔物の死骸が山積みになっているばかりで、見付け出せそうもない。
 彼が目を開けることは、もう、ない。
 硬い感触とともに掌に転がり込んだ金属片を眺める。名前や生年月日や所属が記されたそのちっぽけな認識票が、リンドブルム公国で生還を待つ家族に彼の死亡を証明するのだ。
「今まで、ありがとな」
 自分の部下が死んだのは、初めてのことだった。
 今までは運が良かったのだ。死と隣合わせの生活を続ける中で、部下を、仲間を、自分を喪わずにすんでいたのは、運が良かったのだ。今後、他の部下が物言わぬ死体にならないとは限らない。それは自分にも言えることで、自分や部下だけでなく守りたい人にも言えることだ。
 ジタンは面頬を引き下ろし、袖口で乱暴に顔を拭った。
 乾いた風が頬を冷やすが、異臭を孕んだ風は決して心地良くなかった。
 こういう風には憶えがある。もどかしく虚しく無性に叫びたくなるような生と死の狭間にも、こんな気味の悪い風が吹いていた。
「『逃れることのできない死に気付きそれに打ち克つことができなかったとき、恐怖は目覚める』……か」
 解かりきっていても恐怖を感じる。そんなときは愛しい少女の顔を見たくなる。遠くからでもいい。あの、はんなりとした花のかんばせを瞳に映したい。
 最後に彼女を見てから一年も経ってしまった。一年前、ブランクに支えてもらいながら闇夜に身を潜めてビビを見送った夏の夜、ジタンは息を殺して、少し痩せた彼女の姿を心に焼き付けようとじっと見つめていた。
「そこのお前、何をしている!」
「怒鳴るな。きっと村の住民だ」
 荒々しい誰何とそれを押しとどめる声に視線を転じると、そこには数名の兵士と彼らに囲まれても平然としている少年がいた。少年が連れているチョコボの方がよほど落ち着きがなく、鞍に括りつけられている荷物袋が落ちそうな勢いで身震いを繰り返している。
 そんなチョコボを宥めている少年は、体格に合わない大きなとんがり帽子を被り、青いローブを着てぶかぶかのズボンを履いている。ベルトには氷の杖が差してあった。
「みんな、死んじゃったの?」
 騒ぎに気付いた兵たちの視線に晒される中、少年は金色の瞳を辺りに向ける。魔物の死骸とリンドブルム兵の死体が転がり、戦闘痕が大地に刻まれ、異臭が漂っている。十歳かそこらの子供が見るには悲惨に過ぎる光景だが、少年は眉根を寄せて口元を引き結びはするものの決して視線を逸らそうとはしなかった。
「じゃあ、土の下に隠してあげないといけないね」
 そう呟く少年の金の双眸が美しすぎて、見間違えるはずもないのに『彼』と重なって、ジタンは不審がられない程度に目元を抑えた。





 村への道を逸れて茂った草を掻き分け進み、一年前の夜にじっと身を潜めていた丘に立って見渡してみると、墓地が以前よりも近くに見えた。あのときと違いジタンが立っているせいなのか、それとも墓地が広がったせいなのか。
 風に揺れるとんがり帽子の数は、最後に訪れたときよりずっと多い。
 ふと、背後から草を踏む音がした。振り返ると、そこにはジェノムの少女が立っていた。
「よお、ミコト。元気にしてたか?」
 ミコトとは顔を合わせるのも一年ぶりになるが、ジタンの親しげな態度に薄っすらと眉間を寄せる反応は相変わらずだった。ただ、少し髪が伸びて、顔立ちも大人びて見えた。
「クロマ族のみんなは、どうなった?」
「もう288号しか動いていないわ」
「そうか……」
 再び墓地を見渡す。そうすると、とんがり帽子を被った十字架が懐かしい姿と重なって見えた。木漏れ日を透かし見る姿、無茶な注文に慌てる姿、的外れな討論を繰り返す姿、生命の誕生に涙を流す姿。
 仲間の誰よりも長く『死』の恐怖と戦い、誰よりも強く在りたいと願い、仲間を見守る立場にあった288号が全ての仲間を見送り最後まで残ったことは、彼にとって幸せなことなのだろうか。
 ふと浮かんだ疑問をジタンは打ち消す。そんなことは気易く訊いていいことではないし、きっとこの質問を訊いていいのも288号が答えを教えられるのも、もうここにはいない黒魔道士の少年だけだろう。
 しかし、図らずもその疑問を晴らしてくれたのは傍らに並ぶ少女だった。
「でも、ビビの子供たちがいるわ」
 ミコトは墓地を真直ぐに見つめている。よく見ると、その瞳は一年前とは比べ物にならないほど強く輝いていて揺らぎがない。
「彼らも立派なクロマ族よ」
「ああ。そうだな」
 山から風が吹き下りてくる。本当に単純なもので、今は風に揺れるとんがり帽子が笑っているように見えた。
 正直、ジタンは黒魔道士の村を訪れるのが少し怖かった。凄惨な現場でビビの子供と会ってしまったせいもあったかもしれないが、なにより後ろめたい気持があった。いまだに自分に納得できていない事にも、自分を待ってくれている人に報いることができない事にも。
「ダガーから、何度も手紙をもらうわ」
 本人にそんな意図はないのだろうが、ジタンに釘をさすようにミコトは教えてくれる。
「レオたち――ビビの子供たちも、ダガーの手紙を楽しみにしている。ずいぶんと仲良くなったみたい」
「……ダガー、元気か?」
「あなたの行方を今でも気にしている」
 悪気はないのだろうが耳に痛い言葉に、ジタンは視線を足元に落とした。
 こういうとき、ロナルドの言葉に助けられる。彼が以前言った通り、どうせ今すぐ小鳥を迎えに行くことなど無理なのだ。そう冷静に判断を下せるから気持が先走るのを押さえられる。
 それでも、アレクサンドリアにいる彼女へ思いを馳せることは止めようがなかった。
 ガサリ。
「ん?」
 再び背後からあがった足音に振り返ると、そこには三人の子供が立っていた。全員が黒魔道士の装束に身を包んでいる。先頭に立っているのは、先ほど戦場跡にチョコボを連れて現れた少年だった。
 その少年が、睨んでいると言ってもいいくらい強い視線でジタンを見つめる。そして、おもむろに口を開いた。
「兄ちゃん、オレたちと手合わせしてよ」
「あたしも!」
「僕もお願い!」
「えっと……」
「オレはカルノ。カルノ・カルニスだ!」
「ニーシェ・ザグリア!」
「僕はピッセ・ザウトルだよ!」
 勇ましく炎の杖を握り締めている少女がニーシェ、魔道士の杖を腰に差しているのがピッセ。間近で見る彼らの瞳は金色にキラキラと輝き、父親の純粋さを直向きさを見事に受け継いでいた。
「……よし! カルノ、ニーシェ、ピッセ、もっと広い場所に行くぞ。案内してくれ」
「そうこなくっちゃ! ほら、こっちだよ! ミコトも一緒だからねー!」
「そうだ! お兄さんの名前は?」
「アレスだ。アレス・オクティクス」
 思い思いに駆けだす子供たちに付いて行きながら、ジタンは一度だけ振り返る。視線の先では、他のよりも小さく不格好な十字架が楽しそうに風に揺れていた。
(今はまだ決まりが悪いから、また今度な)
 次に訪れるときには、墓前に立って胸を張って報告ができるように。
「アレス、早くはやく!」
「わかったわかった。そう慌てるなって」
 急かす声に笑みを返し、ジタンは子供たちと彼らに手を引かれているミコトの元へ駆けだした。





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2011.05.03