「隊長、外側の大陸の遠征予定が繰り上がるそうですよ」
どこから拾ってきたのか首を傾げたくなる情報をワッツが伝えてきた翌日、公式の通達が出されて遠征準備が大きく前倒しされ、さらに四日後の今日、ジタンたちは外側の大陸に立っていた。
荒涼とした景色、乾いた空気、滅多に陸を目指さない風、全てがずいぶんと懐かしい。ひっそりと木陰からビビを見送った数日後に大陸を出たきりだから、ジタンがこの大地を踏むのは丸一年ぶりになる。
「話に聞いて、忘れ去られた大陸と似たようなものだと思っていましたが、ずいぶんと違いますね」
「ここら辺はな。もっと東へ行くと荒涼としているぜ」
「隊長はこの大陸についても、よく御存知で?」
「まあ、それなりにな」
大陸の中央を穿つように深く入り込んだ湾にリンドブルムの軍艦は接岸した。といっても、東側は地脈の祠が起こす震動で大地が安定していないし北側はトリクァイキス山脈の尾根が迫っているため、接岸できるのは湾の西にあるゲカルチ海岸しかなかった。
そこに降り立ったら左手には深い森、前方には幾ばくかの林と多少なりとも青草の生えた平原、右手には沼地が望める。調査日程の大半を南ゲートと遜色ない高さの絶壁に囲まれて二ヶ月近くを過ごした開拓団員にしてみれば、拍子抜けの感が否めないだろう。
「今回はこのままコンデヤ・パタという集落に向かうということですが……大丈夫ですかね」
ワッツが振り返った先には、艦から次々と降り立つアレス隊の兵たちがいる。
軍から支給されたデザートブーツを鳴らしながら砂浜を歩く彼らの大半はデレク地区で沿岸警備に就いていた叩き上げの軍人で、残りは開拓団でも一緒だった兵だ。開拓団上がりの兵は過酷な環境に慣らされているが、他の兵は上陸後すぐに行動することを考慮して船での移動に慣れている者を優先的に選出してきたから、荒涼とした地での遠征に慣れた者と限らない。ワッツの言う通り、不安が否めない。だからといって、急を要する中で開拓団のときのように身体慣らしのために何日も費やすわけにはいかなかった。
今回、遠征が前倒しにされたのは救援要請の書状がコンデヤ・パタから送られてきたからだ。この前の年末年始にビッグスが出向いて外側の大陸の民と条約を締結し、自由な航空・航海の権利と貿易の権利の代わりに大陸の自治と保護を保証した。
そして早速、保護を求めてきたのである。保護対象はコンデヤ・パタと黒魔道士の村とマダイン・サリの住民、抗撃対象は豹変した魔物たちだ。
幸いにも大陸の西側にまでは魔物の異変が及んでいないようで、マダイン・サリに住むモーグリたちとコンデヤ・パタの非戦闘員はマダイン・サリのあるルシル島へ避難を済ませている。けれど、黒魔道士の村の住民は村の西南北に聳える絶壁と東に広がる森に阻まれて避難を果たせず、魔法を駆使してなんとか事無きを得ている状態だ。
これからジタンも含めたビッグス隊はコンデヤ・パタへ向かい、詳細な現状を把握したらドワーフとの混合部隊で黒魔道士の村へ赴き、住民をルシル島まで避難させてから魔物の異変の調査と対処に取りかかる。それと並行して艦隊は西周りに大陸を周り、ルシル島に接岸して非戦闘員の保護にあたる。これが当座の計画だ。
「そういえば先日、近衛隊の精鋭がルシル島に向かったと聞きましたが、軍関係者以外での要人の動きがあったようですね」
「……おまえのことだ、要人が誰かまで突き止めてるんだろ」
「大公殿下が養女に望まれている少女だそうですね。不思議なことに、額に角が生えているといいますよ。しかも、避難区域にされているマダイン・サリは召喚士の伝説が息衝く町だそうです。そして、召喚士は角を戴く一族だとか」
「ワッツ……おまえって、よく調べてるよな」
彼の言う通り、エーコはここを訪れていたとシドから聞いている。けれど、シドの保護下にあってもエーコはいまだに養子縁組に関しては渋っているため大公家の一員ではないし、ここを訪れた理由も里帰りと墓参りという私的なものだったから、完全非公式の扱いになっている。それを嗅ぎつけたのだから、まったくジタンの副官は有能だ。
「隊長は少女のことも御存知で?」
「まあ、それなりにな」
必要な物品を下ろし終え、いよいよビッグス隊の進軍が始まった。軍の先頭を歩くのはジタンの部隊だ。
慣れない環境ではあったものの順調に続いていた進行は、コンデヤ・パタを海から隠すように唐突に現れる小さな林を迂回したところで止まった。乾いた風が吹き抜ける広大な平地に、小さな緑色の塊がびっしりと広がっていたのだ。
「ワッツ。一帯にサボテンダーの群れが潜んでいるから進軍を一端停止すると、ビッグス将軍に知らせてくれ」
しばらくして、ビッグスの愛弟子とも名高いイサール大佐と彼の副官がワッツとともに出向いて来た。イサールはビッグスと同じく穏やかで賢い仕官と名高く、白魔法に秀でた武官としても有名だ。
「大尉、進軍できないということだが、どうにかできないものなのかい?」
「不可能ではありませんが、土中のサボテンダーは刺激を与えると手痛い攻撃を返してくるので、やるなら一気に大規模な攻撃を加えて確実に殲滅するか慎重に一匹ずつ駆除するしかないでしょう。もしくは、土から出てくるのを待つか……」
「それは、土から出ていれば恐ろしくない、ということかな」
「注意するべき攻撃は土中に潜っているときにしかできませんから、土から出てさえいれば大して危険のない魔物です。ただ……これだけのサボテンダーがいるのに、姿を現しているものが一匹もいないのが気に掛かります」
緩やかな陵丘を描く平野の入口、南北の谷口に架けるように緑の斑点が続いている。なんだか、こちらが立ち入るのを今か今かと待ち構えているようだ。
そして、その予感は当たっていたと気付くのに、そう時間は必要なかった。
右翼からざわりと異様な空気がしたかと思うと、右翼だけでなく左翼と後方からも伝令兵が駆け寄って叫ぶ。
「大佐、大尉、何者かが北方から攻撃を加えてきます!」
「東方からグリフォンの大群が来ます!」
「同じく南方からもグリフォンの群れ!」
報告を聞き、イサールとジタンは同時に携帯型の望遠鏡を引き延ばして周囲を見渡した。
東方のグリフォンの大半は軍艦に取り付いたようで、艦を包むように黒煙や白光が閃いている。南のグリフォンは東の倍近い数、北の敵影は確認できないが兵の様子を見ればハッキリと何者かに襲われているのが判る。きっと、隠現魔法を操るゴブリンメイジだろう。
嫌な予感は、さらに色濃くなる。
グリフォンは基本的に群れず同種異種に関わらず単身で獲物を狩る魔物なのにも関わらず、南と東で総数を比較できるほど陣営が区別できる統率力を見せて襲ってきている。ゴブリンメイジは同族で徒党を組むことはあっても異種族と同じ獲物を狙うことはない。それらの事実と、サボテンダーで進軍を足止めした後の襲撃というタイミング。
(これが、魔物の異変か……)
考えを巡らすジタンの隣で望遠鏡を縮めたイサールは、混乱を来たし始めた戦場を貫くように声を張り上げた。
「西に血路を開いてコンデヤ・パタまで駆け抜ける!」
「いや、北に行くべきです! 沼地に逃げ込める!」
「見えない相手に立ち向かえないだろう。イサール隊、前線に展開!」
「あいつらはゴブリンの仲間です、大した相手じゃない!」
「大佐、北からさらにザグナルの大群が迫って来ます!」
「ザグナルか。これで北はなくなったな」
「サボテンダーの群れに飛び込むのは無謀だ!」
「ザグナルの群れに飛び込むのは無謀じゃないのか!!」
真直ぐに瞳を見返して浴びせられた一喝に、ジタンは思わず口を噤んだ。
「東は海岸線まで追い込まれたら終わりだ。最悪、沖にいるグリフォンと挟み打ちに合ってしまう。北のザグナルはその恐ろしさを知っているからこそ士気を保ったまま立ち向かうのは難しい。不可視の敵も混ざっているとなれば、なおさらだ。南はドワーフとの混合部隊を以てしなければ攻略不可能との報告が事前になされている。残るのは西だろう」
「なら、オレが北に道を開きます!」
「話にならないようだね。――私は大佐、君は大尉、そして今この近くで指示を待っているのは君の指示を待つ君の部下だ」
はっとして辺りを見回すと、周りでは近付いてくる混乱の波を感じながらジタンたちの指示を待っている隊員たちがこちらを窺っていた。彼らの前で、先ほどからジタンは上官に反論しかしていない。これではイサールの顔が立たないし、兵に不安が広がってしまう。そもそも、ジタンは上官の指示を撤回する権限など持っていないのだ。それに、ジタンはついさっき「なら、オレが北に道を開きます」と言った。『自分の部隊が』ではなく『自分が』道を開くと。そんなワンマンプレーをしていては部下を宙吊りの状態で放り出すことになってしまう。
「君の知識はたしかに貴重で役に立つし、腕も立つと聞く。けれど、それは答じゃないんだ」
今、ここで答を出すべきなのはジタンではなくイサールなのだ。その答に従って、ジタンは自分の隊に指示を与えなければならない。
「それでアレス大尉、『手痛い攻撃』とやらはどういったものだい?」
「攻撃主一人を執拗に狙う魔法攻撃で、防御は効かず、一定のダメージを受けます。おそらく、私の隊員の大半はその攻撃を受ければ瀕死に陥るでしょう」
「マローダの部隊なら任せられるね」
イサールは副官と頷き合う。互いの中で完結したやり取りに、ジタンはその副官こそがマローダなのだろうと察した。浅黒く日焼けし逞しく引き締まった体格をしているマローダからはサボテンダーの反撃くらいでは屈しない体力を感じる。
「では、私の部隊は大佐の部隊展開が整うまで北方に陣を広げ、前線の保持に努めます」
「よろしく頼むよ」
瞬く間に場の秩序が取り戻されたとき、再び報告の声が上がった。
「大佐、大尉……石槌連です!」
西方、サボテンダーによって薄っすらと緑に染められた平野の向こうから、極彩色の装備に身を包んだ小隊が驚異的な速度でこちらへ迫ってきている。槍や剣や弓などの種々の武器を携えた彼らは、『石槌連』と呼ばれるドワーフ族の精鋭戦闘部隊だ。
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