近々ジタンが遠方に赴くことになる、というロナルドの情報は確かだったようだ。
デドリー侯の一件を無事にこなしてから一ヶ月もしない頃、初秋に外側の大陸遠征へ出る旨が通達された。西方開拓に参加した者がいるジタンの部隊も参加することになっていて、遠征部隊の中では小規模な部隊であるものの、その実戦経験から大きな期待を寄せられていた。
公国東部に駐在している間に、ジタンと部下の絆は強くなっていた。それは開拓団に参加していなかった兵たちも例外でなく、ジタンは全員の名前を諳んじることができるし、彼らもジタンの能力を認めて尊んでくれている。それにジタンは軍人としてはずいぶんと気易い人間であるため、職務と関係ない場では一緒にカードゲームをして騒いだり飲屋に連れ立ったりすることも珍しくなく、他の部隊からは異色の部隊として見られていたりもする。
今回の遠征でも、ジタンの部隊は遊撃隊の役回りを任されている。魔物に対する知識や耐性を有効利用できる主力として働き、ときには独立して展開し仲間を窮状から救い出さなければならない。そのためには冷静で鋭敏な頭脳だけでなく一瞬で判断を下す担力も必要になってくる。
(そのためには、もっと多くの事を知らなきゃだよな)
気が進まない報告書の山を尻目に、ジタンはビッグスから渡された本を読んでいた。ずいぶんと昔に出版された元リンドブルム将軍の自伝で、自慢混じりの経験談の部分はまだしも端々に覗える彼の気概は知る価値があるとしてビッグスが貸してくれた図書だ。途中にはかつてのリンドブルムの制度や貴族の抗争に関する言及もあるから、それらに関しても勉強を進めているジタンにはとても刺激的な読みものだった。
いつだか、ビッグスは貴族出身だと聞いたことがあった。ときには彼と貴族のことで語らうのも面白いかもしれない。なんなら、頃合いを見計らって今から行ってしまうのもいいかもしれない。
「噂をすれば影がさす」とは違うかもしれないが、ビッグスの部下が訪ねてきたのは、そんなことを思っていたときだった。
ビッグスの部下に案内されて重厚な扉を潜ったジタンの目の前には嫌味でない程度に豪華な応接室が広がり、仕立ての良いソファではジタンの直属の上司であるビッグス・ベルツ将軍が寛いでいた。
「いきなり呼び付けて、すまないね」
そう言って微笑むビッグスは、かつて『銀の亢竜』として名を轟かせた軍人とは思えないほど穏やかな雰囲気をまとった男で、毛髪が白髪に見紛う銀色をしていることもあって老成した印象が強い。いや実際、すでに大半が白髪に変わっているのかもしれない。彼は現役軍人の中では最高齢で、過去に残してきた武勲もさることながら、前線を退いて久しい現在も優れた知謀を駆使して活躍している。
「君に会いたいという人がいるんだ。どうせなら遠征に行く前に対面を済ませてしまおうと思ってね。急な用事が入って少し遅れるそうだから、コーヒーでも飲んで待つことにしようか」
彼の目配せひとつでコーヒーの用意がされ、それからしばしの間、ジタンはビッグスとさきほどの図書や今度の遠征についての討論を続けた。
香りを楽しみ、喉の渇きを癒し、一杯目のコーヒーを飲み干した頃。ジタンを案内したのとは別のビッグスの部下が応接室の扉を叩き、一人の偉丈夫が部屋に招き入れられた。
「ウェッジ将軍……」
「直接会うのは初めてだな、アレス大尉」
頑健な体格や大きく張った顎に似合わない知的な笑みを浮かべて立っていたのは、ウェッジ・フィッシャーだった。忘れ去られた大陸で起こった謀反の首謀者ウェジソン・フィッシャーの父親だ。
彼はウェジソンの一件を知り、リンドブルム帰還後に慌ただしくビッグス隊の駐屯地へと発ったジタンとロナルドへ手紙を出していた。ジタンは駐屯地から帰っても勉学の時間が惜しくて手紙のみのやり取りを続けていたが、ロナルドは直に会って話をしたことがあり、ジタンは彼を通してウェッジの容貌や為人に関して聞いていた。
そのときロナルドが言った中で、とても印象に残っている言葉がある。曰く、ウェジソンは父親から外見以外の遺伝子を受け取り損ねたようだ、と。
なるほど、ウェッジにはウェジソンからは感じられない落ち着きと思慮深さが感じられた。泰然として威厳に満ちたその姿は『銀の亢竜』ビッグスにすら劣らず、ビッグスを上回る覇気はウェッジがまだ前線に立つだけの若さと豪放さを有しているのだと感じさせた。
手紙を交わしている間にも感じていた好感は、ジタンの中で明確になった。ウェッジの瞳を見れば、彼も同じ思いをジタンに感じたのだと判る。
「改めて礼を言わせてくれ。君には心から感謝している」
「感謝……ですか?」
「正確に言えば『君たちに』だな。君たちのおかげで、息子の甘い考えが改まったようだ。それにリンドブルム軍人としての確たる心構えができたらしい」
ウェジソンは現在、忘れ去られた大陸を飛び回っている。開拓団が調べた鉱脈で採掘を行なえるだけの環境を整えるために技術団が派遣されたのだが、その護衛として派遣された部隊の隊長に抜擢されたのだ。
彼を抜擢したのはジタンとロナルドだった。二人としては、謀反の首謀者とはいえ両隊長が不在の中で長期間隊を率いたウェジソンの能力を認めた上での当然の判断であったが、ウェジソンを始めとするフィッシャー家や謀反を知る上層部からは慈悲に溢れた英断だと評価されたようだ。フィッシャー家へ恩を売るという下心を考えると後暗いのだが、そんなことは彼らだって百も承知だろう。
どちらにせよ、ウェジソンの仕事ぶりを風の便りに聞くと、自分たちの判断は間違っていなかったと思える。そして不思議なことに、ウェジソンの活躍を称える言葉は自分たちの功績を称えられるのと違った風に、胸に誇らしく響くのだ。
「あれのことは気に掛けて立派になるように育てたつもりだが、どうやら親の愛情より上官の叱咤のほうが効果覿面だったようだ。まあ、私もそうしてビッグス将軍に育てられたものだが」
それからビッグスとウェッジの思い出話が始まり、二人の危地での活躍や笑い話、経験談を交えた軍学の討論へと続き、ワッツが呼びに来るまで、気さくな将軍たちのおかげでジタンも気楽に刺激的な時間が過ごせた。
「本当はジェシーとも会わせたかったのだが」
そうビッグスが呟いたのは、この後シドから帝王学について講義を受ける予定だから待たせるわけにはいかないと思ってジタンが部屋を辞そうとしたときだった。
「ジェシーって……ジェシー・クーン将軍ですか?」
「ああ、彼女はウェッジと同期でね。彼女は変わり者だからきちんと話し合うのは難しいんだよ。特にウェッジを毛嫌いしていて、この場に呼ぶことができなかった。遠征から帰って来たときに紹介しよう」
「ロナルド・フォードはジェシーの部下だったな。彼とは何度か話したよ。なかなか頭の切れる辛辣な好男子だった。ジェシー隊に配属された理由がわかった気がするな」
そう言って、ウェッジは楽しそうに笑い声を上げた。
(ロナルド、おまえ、何言ったんだ……?)
ジタンとしては返す言葉が無い。
しかし、なんだかんだでロナルドも新しい所属で上手くやっているようだ。そして、それをウェッジは好意的に受け止めてくれている。――自分の事ではないのに、やはり、誇らしい気持ちだった。
「君たちには多大な期待が寄せられている。私もウェッジもジェシーも、期待を寄せている中の一人だ。大いに頑張ってくれたまえ」
「ありがとうございます」
オルベルタと違って多少遅れたところでシドは怖くもなんともないが、気付けばジタンは足早に廊下を歩いていた。
気分が良い。応接室に案内されたときとは違った活力が、胸の奥から湧いてきていた。
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