ジタンがワッツに呼び止められたのは、小隊長用テントのための補給水を取りに行った帰りのことだった。
「隊長。重傷者は全員専用テントに収容して、動ける者は怪我の重さに合わせて班を組み直しました。すでに、それぞれの隊から一班ずつ哨戒に出ています」
「ご苦労さん。ところで、ウェジソン伍長はどうしてる?」
「ポール二等兵とミンウ二等兵が洗い出した他の共謀者たちと一緒に、テントの一つに拘束しています。ちゃんと見張りも付けていますよ」
「そうか。後でロナルドと顔を出すよ」
「わかりました」
 今回の一件では、共謀者の中で一番官位の高い者と一番地位の高いウェジソン伍長が大きな責任を負うことになる。まあロナルド曰く、この件は隠密に処理して上層部へは上げないでおくらしいから、ウェジソンたちは無罪放免どころか何事もなかったように兵役に戻ることになるだろう。ただし、戻るときにはジタンとロナルドからの恩を買う、という条件付きではあるが。
「それで、ロナルド少尉のお怪我の具合はどうですか?」
「降ってきた岩が腕を掠っただけだからな。腫れてはいても骨にも筋にも異常はないし、明日には治ってるだろ」
 ジタンとサラマンダーがモルボル二体を倒してからしばらくして、ロナルドはチョコに乗って戻って来た。そのとき左腕が手綱を掴んでおらず、その後でも極力左手を使わないようにしていたことにワッツも気付いたようだ。
 たしかに、ロナルドの怪我は出血の割に大して酷いものではなかった。それでも心配だったジタンはサラマンダーにチャクラをかけてほしいと頼んだのだが、当のロナルドがそれを断り、今は自らブリザドで凍らせた氷を患部に当てて痛みを凌いでいる状態だ。
「それならいいのですが、もし酷く痛むようでしたら申し出るようにとミンウが言っていたので、そうお伝えください」
「あいつ、白魔法が使えるのか?」
「いえ、白魔法ではなく一族に伝わる奥義だそうです」
「へえ、奥義ねぇ……」
 『奥義』と聞いて思い出すのはサラマンダーだ。彼は魔法とは違った特殊な技を習得しているのだが、それと同じような物だろうか。
 考えてみれば、ミンウとサラマンダーには何個かの共通点がある。鮮やかな焔色の髪。青白い肌。ミンウはサラマンダーと違って小柄だが、身体能力は同じくずば抜けている。そして『奥義』と呼ばれる技。
 以前何かの折に聞いたところによると、サラマンダーは小さな頃から死ぬか生きるかの世界を孤独に生きていたそうだから血縁を辿ることはできないだろうが、もしかしたら何かしらの繋がりがあるのかもしれない。
「――ところで、隊長はサボりですか?」
「侮辱罪で訴えるぞ」
「そうなったら、ロナルド少尉に助けを求めます」
「あぁ〜、あいつには勝てそうもないな」
「それじゃ、細かい報告書は夜までに上げますからね! ちゃんと起きていてくださいよ!」
「ワッツも腹が痛いとか言ってサボるんじゃないぞ!」
 言い逃げしてテント群の向こうへ駆けて行くワッツに言い放つと、ジタンは水を抱え直して隊長用テントへと向かった。
 少しもしないで帰り着いたテントへ水を落とさないように肩で幌布を押し上げながら入ると、中ではロナルドが中央の机に向かって何もせずに座っていた。
 ジタンの瞳にそこだけ時間が切り取られたように見えるのは、ロナルドが相変らずの無表情だからだろうか。こんなにゆったりとテントに居られるのが久し振りだからだろうか。それとも、ロナルドの服の端から覗く包帯が白々と目に映るからだろうか。
 テント内に満ちた沈黙は、何かを急かすように冷たく硬い。
 ジタンはそれを掻き消すように口を開いた。
「大丈夫か?」
「問題無い――と言いたいところだが地図が上手く広げられないんだ。すまないが、代わりに広げてくれないか」
 ロナルドの言う通り、机の上には丸められたままの地図が置かれている。
 水を隅に置いてロナルドの向かいに座ると、ジタンは手早く地図を広げてペンを手にする。そうすれば心得たようにロナルドが現状を口にし始め、地図の上には様々な事が書き記されていった。





 一通りの現状把握が終わると、ロナルドは背凭れにゆっくり身体を預ける。
「それにしても、我ながら上手くできたな。全方向の崖を崩し切ることなく道を塞げたうえ、まだ崖面では崩落を繰り返している所があるから危険だと言っておけば兵が中に立ち入ることはおろか、近付くこともないだろう」
 何でもない事のように言うロナルドだが、ジタンとサラマンダーは知っている。威力の大きなサンダラを訓練もなしに無理矢理行使したせいで、ロナルドは指先から肘上まで熱傷を負ってしまっているのだ。サラマンダーが文句も言わずロナルドにチャクラをかけようとしたのは、その負傷は自分に責任があると思っていたからだ。
「……本当に大丈夫か? 痛むだろ?」
「痛まないわけじゃないが、わざわざ申告するほどでもない」
 そう言ったロナルドを見たジタンは、思わず目を見開いたまま固まってしまった。
(あ、っれ……?)
 ジタンの目の前では、ロナルドが微笑みを浮かべていた。
 今まで腹に一物抱えたような笑みならば何度か見たことがあるが、柔らかく微笑んでいるところは見たことが無かった。彼をして『鉄仮面』と称するくらいなのだから、ワッツたちも見たことがないのだろう。
 だが目の前でロナルドは確かに微笑んでいた。まるで、ジタンに心配を掛けさせまいとするかのように。
「ところで、ここからこの山脈まではどれくらいの時間がかかるか分かるか?」
 ジタンの様子に気付かなかったのか、気付いていながら無視したのか。ロナルドは忘れ去られた大陸の最南にある山脈を指先で叩く。
「え、えっと……片道で一週間以上かかるだろうな」
「そんなに手強い魔物がいるのか?」
「いや、魔物に大した違いはない。ただ地図で見るだけじゃ分からないだろうけど、この山脈の折れた所には特殊な祠があって、周辺では祠から外へ向けて強風が吹き荒れているんだ。進行速度は良くて普段の二分の一、怪我人を抱えていることを考えると四分の一くらいだろうな。テントを張ることもできない。それに、鉱脈があったとしても採掘するのは無理だと思うぜ」
 風の祠の周辺ではブロウバレーという名前の通り強風が吹くために、飛空艇を近くに停泊させることはできない。そうなると本国から来た技術者たちを送り届けること自体に大きな負担が出てくる。兵力や食糧のことを考慮すると、発掘は無理だろう。
「なら、この山脈の南面の環境はどうなんだ?」
 ロナルドは現在逗留している一帯の反対側――ウイユヴェールのすぐ南――を指先でなぞる。そこは風の脅威からは外れた地帯だった。ジタンがそう言うと、頭の中で瞬く間に計画が立ち上がったのかロナルドは小さく頷く。
「ならば、必要最低限の人数だけブロウバレーへ遣って、残りの者にはこの山脈と怪我人の世話を頼もう」
「じゃあ、割り振りを決める会議をしなきゃだな」
「招集は私がやろう」
「ロナルドは休んでろよ。みんなはオレが集めるし、途中でワッツあたりを寄越すから机を並べたりもするなよ」
「そこまで労われる謂われは無い」
「いや、あるね」
 どこか憮然とした口調のロナルドに、ジタンは即座に言葉を返す。
 ロナルドは片眉をつり上げた。そんなロナルドを見て、ジタンは破顔した。
「お前が万全の状態じゃないと、オレがサボれない」





 ワッツとニーダと学者たちを小隊長用テントへ遣って、あとは数人の分隊長を見つけるだけになった。
 ワッツはときどき恐ろしくなるほどに情報を把握しているから、なんだったらワッツを使って招集させてジタンが会議の準備をした方がよかったかもしれないと、ささやかな後悔を抱きながらテント群の端を歩いていたとき、 少し遠くに並ぶ岩の合間に人影が見えた。
「ん?」
 日陰に入って密やかに話しているのはサラマンダーとミンウだった。サラマンダーはこちらに背を向けているために表情は窺えないが、ミンウのどことなく興奮した表情は暗がりの中でも見て取ることができた。しかし、話している内容は全く聞こえない。
 サラマンダーに話したい事があることを言い訳にその様子を遠くから眺めていると、数分もしない内にサラマンダーがこちらに歩いてきた。特別変わった様子は無く、ジタンの存在に気付いても歩調を早くすることも遅くすることもしない。
 好奇心のままに何があったか訊きたい気もするが、ジタンは彼に合わせて何も気にしていない風で口を開く。
「サラマンダー。オレは明日から半月くらい南へ行くから、その間ここに残る奴らのことを任せてもいいか?」
「お守は好きじゃねぇ」
「だからといって、怪我しているロナルドだけに頼るのも不安だろ。いいじゃないか、魔物の襲撃を受けたときにだけ力を貸してくれればいいんだからさ」
「ふん。――なら、お前はミンウを連れて行け」
「それはいいけど……何かあったのか?」
 サラマンダーは何の変哲もない兵に興味を示すほど人懐こい性格はしていない。にも関わらず、さっきの今で彼の口からからミンウの名前が出るとなると放っておけない。そうは見えなかったが喧嘩でもしたのだろうか。
「別に、何もない」
 ジタンの心配をよそに、サラマンダーはいつも通り憮然とした表情で言う。
「お前が帰ってきたら俺はエバーラング諸島へ行く。これ以上余計な仕事をつくるなよ」
 サラマンダーは開拓団の兵たちを避けるように赤い砂埃の向こうへ消えていった。 少し遠くに並んだ岩の合間に人影が見えた。
 試しに振り向いてみたが、ミンウも既に立ち去った後だった。





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2009.08.28
last-alteration 2011.01.31