鈍く生々しい音を立ててカトブレパスの胸に矢が突き刺さる。次の瞬間には、身体を襲う痛みに雄叫びを上げる暇もなくその首はショートソードによって地面に落とされた。
「ノルマは達成できたな」
「ええ。芯まで火を通せば、明日の食糧にもできるでしょう」
言葉を交わしながら得物を仕舞うと、ロナルドとニーダは振り返る。二人の視線の先では、ジタンとワッツが先ほど二人で倒したアームストロングから薪になる木材を回収していた。近頃、不思議なほどに魔物の出現率が減ってきたため、二人とも鬱憤晴らしとばかりに好き勝手やっている。アームストロングが憐れに思えるほどに。
ニーダは苦笑交じりに小さく安堵の溜息を漏らした。
「明日は食料調達の暇がないですから、これで安心ですね」
四人が本隊と離れてから十日以上が過ぎていた。ロナルドの予想ではもっと早いうちに合流を果たしていたはずなのだが、ジタンの作戦に協力する必要が出たことと、予想以上にウェジソン伍長の統率が長けていたことが重なり、未だに四人だけで行動している状態だ。
四人が追尾していることに気付いたワッツの友人たち――ワッツとともにウェジソン伍長の反乱計画を知った者だ――の報告によると、兵たちが慣れてきていることもあって行軍に支障はないそうだ。今のところは不満を訴える兵もいない。ただ、漠然とした不安は常に付きまとっているらしい。
それを聞くと、早く戻らなければとも思う。
どちらにしろ、合流できない原因の一つは明日には消える。明日は作戦決行の日だ。
ジタンたちが本隊から離れた日、狙ったようにサラマンダーが四人の前に現れて作戦の概要を説明した。ロナルドたちにとっては大陸に到着してすぐの頃に会って――ワッツは容姿がジタンに似ていたため、間違って引き合わされて――以来の対面だった。
そこで、ロナルド、ワッツ、ニーダの三人は、ウイユヴェールという遺跡が忘れ去られた大陸に存在する事、そこには世に出しては危険を招く可能性のある高次な技術と知識が詰まっている事、そこは隠蔽する必要がある事、大公もこの作戦を知っており、すでに了承済みだという事を聞かされた。そして、サラマンダーを含めた五人だけでウイユヴェールを隠蔽することになったのだ。
作戦は単純なもので、ジタンとサラマンダーが準備した爆薬を爆発させるだけだ。しかし、五人は別々の場所で同時に着火させなければならないため成功させるのは難しいうえに、被害を最小限に抑えるためウイユヴェールを囲うように聳える山と遺跡に続く
崖谷を自分たちが立つ内側に向かって崩さなければならないから大きな危険が伴う。
「何事も無ければいいんだが……」
どうも近頃、良い意味でも悪い意味でも自分本来の調子が狂ってきているとロナルドは感じていた。ウェジソン伍長の行動を正確に予測できなかったことは悪い変化なのだろう。逆に、戦闘の感覚が研ぎ澄まされてゆくのは良い変化なのだろう。では、ふとした瞬間に顔が綻びそうになることは? ――これの好悪は判じ難い。
ロナルドは小さく首を振ると、薪を組み始めたジタンたちの元へ歩きだした。そういう考えを巡らしている時点で『鉄仮面』が崩れ始めているのだと気付かないままに。
程よい満腹感に、ジタンは乾いた大地へ身を預けた。そうして視界に広がるのは絶景の星空だ。ウェジソン伍長の行軍の全容を把握しておきたいということで崖の上ばかりを進んでいるジタンたちの視界を遮るものは何も無い。ロナルドが黒魔法で点けてくれた焚き火は消されて、その貰い火を使ったランプ以外の光源も無い。星が降ってくるどころか、星の中に飛び込んだような錯覚に陥ってしまいそうなくらい迫力のある美しさだ。
そのとき視線の先で緩やかな軌跡を描いて星が流れた。
その細く儚い尾すら消えてしまうのを見届けると、ジタンの口は無意識のうちに言葉を紡いでいた。
「あなたという流星に出会うため。あなたはたった一度の輝きで、私を……」
「エイヴォン卿の芝居『星に願いを』の台詞だな」
突然横から聞こえてきた声にジタンは僅かに驚きの表情を浮かべた。ロナルドが音もなく近くに来ていたことではなく、彼の口にした言葉に驚いたのだ。てっきり「寝言を言うのなら、テントの中に横たわってから言うんだな」とでも言われると思っていたのに。しかも彼が言ったのは、半年ほど前にダガーが口にした言葉と同じだった。
ジタンの驚いた表情などお構いなしに、ロナルドは隣に並んで腰を下ろす。
「アレスの頭の中に、そんな知識があるとは意外だな。演じたことがあるのか?」
「いや、ないぜ。それに、この先は知らないんだ」
上体を起こして、ジタンはそう呟いた。初めてこの言葉を聞いたときは続きを遮られてしまったために、どのような言葉が続くのか知らない。
すると、囁くような声でロナルドの口が台詞を紡ぎ出す。
わたしがこの町に残っていた理由。
それはロイド、あなたという流星に出会うため。
あなたはたった一度の輝きで、わたしを惹き付けてしまった。
けれど、あなたは流星。
わたしの手に届くことなく掻き消えてしまう。
遠く遠くへ過ぎ去ってしまう。
熱く、強く、鮮やかに、わたしの胸を苦く焦がして。
「……よく暗唱できるな」
「家に『星に願いを』の初版がある。これは、ちょっと自慢だ」
そう言ったロナルドは僅かに唇を緩めていた。
その笑顔とも言えないほどの僅かな笑みを見て、ジタンは改めてロナルドという人物を感じた。いつも無表情だが、ちらと浮かべる表情は魅力的だ。それに普段は声も無表情だが、台詞を諳んじている間は平生を知っている者からは信じられないくらいに感情が豊かだった。
しかし、ロナルドの言葉に引っ掛かりを覚えて、思考はそちらに移ってしまう。
「――初版って、五百年も前に刊行された代物なんだろう?」
「ああ。私の家の屋敷にエイヴォン卿の書物が山ほどあって、幼い私が絵本の代わりに読んで育ったくらいだ。他の作品でも初版が揃っているぞ」
「ん? 屋敷ってことは、ロナルドって良いトコの坊ちゃんなのか?」
「フォードはリンドブルム文官の血を濃く持つことで有名な家で、いろいろな家系と姻戚関係にある。ちなみに、オルベルタ宰相は私の父にとって母方の従兄に当たる」
「それなら、フィッシャーとも遜色ないんじゃ……」
オルベルタといえば、シド大公の腹心で文官の最上位を務めている大物だ。その血縁関係は、勢力図を書く上では見逃せない大きな要素だろう。
「フォードは私を除けば生粋の文官派、対して、フィッシャーは生粋の武官派だ。それにフォードは『吸血鬼』と言われるくらい手当たり次第にリンドブルムの文官たちと姻戚関係を結んだだけで、元を遡ってみればアレクサンドリアから亡命した家なんだ」
肩身が広いわけではないのさ。そう言いながら、ロナルドは小さく首を振った。
「でも、エイヴォン卿の作品の初版が多くあるってことは、そこそこ金持ちなんじゃないのか?」
「どちらかに分類するとすれば倹しい家系だよ。初版が揃っているのも、私たちが卿の子孫だからっていうだけだ」
「卿って……エイヴォン卿のか?」
ロナルドはジタンの問いに直接は答えなかったものの、制作ノートも多くあるから纏めて売れば大金持ちになれるかもしれないな、と言った。ということは、ジタンの考えた通りなのだ。
ロナルドは否定するときは明言する人間だ。それに、エイヴォン卿の書物を売るなどというのは冗談だろう。先ほどの暗誦を聞けば、彼が卿の作品を大切に思っていることが訊かずとも分かる。
ひと月以上寝食をともにしてきた相棒の新たな面を見つけ、ジタンは不思議と軽やかな気持ちになってきて、静かに深呼吸をする。
ふと、ジタンの瞼の裏を柔らかな面影が過った。
「……なあ、ロナルド」
「なんだ?」
「前に言った小鳥のこと、覚えてるか?」
「アレスが捕まえたいと言ったものだろう」
「ああ。その小鳥が、エイヴォン卿の作品が好きなんだ」
「それは気が合いそうだな。捕まえた暁には、ぜひ、会わせてくれないか?」
「そうだな。――そういうのも、楽しいかもな」
ジタンは透かすように夜空を見上げる。
ジタンがいて、ロナルドがいて、旅の仲間がいて。その中にはもちろん彼女がいて。数ヶ月前までは描きもしなかった未来だが、柔らかな光が溢れる心地好い未来だ。
しかし、そこには決して入れない者もいる。
彼の瞳に似た金の双子月へ向かって星が流れた。
BACK
MENU
NEXT