人が近付かない頃を見計らって少尉専用のテントを訪れたワッツは、深刻な表情を浮かべて机の傍に直立したまま言った。
「両隊長に、お知らせしたい事があるのです……」
「なんだ?」
 数瞬の間躊躇した様子で口を小さく動かし、何かを振り切るようにふるふると小さく首を振り、やっと顔を上げてワッツは口を開く。
「アレス隊第三分隊副隊長が不穏な動きを見せております」
「第三分隊副隊長って……ウェジソン・フィッシャー伍長だっけ?」
「はい。そうです」
「ウェジソン・フィッシャーというと、ウェッジ・フィッシャー将軍の御令息の?」
「はい」
 フィッシャー将軍家はリンドブルムに留まらず他国でも有名な家系で、古くからリンドブルムを支えその長い歴史の中で多くの人格者を輩出している。現当主のウェッジ・フィッシャーも、その武勇だけでなく多くの人望を集めていることでも有名だ。本来ならばもっと高位士官から入隊できただろうに一兵卒から将軍まで伸し上がったウェッジ将軍の実力は国内でも有名な話だった。自分と同じような道を息子に歩ませていることもまた、軍内では有名な話だ。
「……どうも、自分の家系のことを鼻に掛けるフシがありまして、それだけならよかったのですが、この頃はそれを利用して反抗勢力を結成しようとしているようです」
「あーらら、親の七光を光らせ過ぎちゃったのね」
「そんなことはともかく。ウェジソン伍長はこんな何もない荒野で一体何に反抗しようとしているんだ?」
 ジタンの言葉を一刀の下に斬り捨てて話を続けるロナルドの様子は、先ほど重大な告白をされたとは思えないほど普段通りだ。自らが掴んだ情報に動揺しているとはいえ、常に二人の近くにいるワッツでさえ全く違和感を覚えていないようで、彼は不審の表情を浮かべずにロナルドの疑問に答えた。
「両隊長――特に、アレス隊長を相当嫌っているようでして、調査の合間に隊長を良く思っていない者たちを少しずつ集めているようです」
「あれ、もしかしてオレって結構嫌われてる?」
「あれだけサボっておいて慕われているとでも思っていたのか?」
 ロナルドは無表情の中に呆れの色を浮かべるという器用なことをやってのけながら、ワッツに視線を移す。
「アウルヴァルト軍曹、この事はどれだけの兵に知れているのか?」
「ウェジソン伍長から声を掛けられた兵の数は把握できていないので何とも言えませんが、自分のような形で知った者はほとんどいないと思われます。少なくとも、前回の休日と昨夜にテント群の外れで密談している所を目撃したのは、自分を含めて三人です」
「軍曹はそこで何をやっていたんだ?」
「ロナルド少尉の隊員と情報の交換をしていました」
 どうやらワッツが並外れて情報に通じているのは、彼が日頃から心掛けている努力の賜物のようだ。以前から疑問に思っていたことがわかり、ジタンは腕を組み得心顔で大きく頷いた。
 ロナルドはワッツと情報交換している兵の名前を頭に入れると、それ以外に報告がないことを確認した上で口外しないことを言い聞かせ、残りの二人にも口外してはならないと伝えるように付け加えてからワッツを自分の持ち場に帰らせた。
「『落とし時』が向こうから来なさったぞ」
「へ?」
 幌が完全に閉まり、しばらくの間降りていた沈黙を裂いてロナルドが口を開いた。そのうえ、言葉の調子はどことなくいつもより弾んでいるように聞こえる。
「死傷者を出すわけにもいかないし私たちの格を落とすわけにもいかないから、どうしようかと考えていたんだ。――今このタイミングで開拓団の分裂を謀ってくれるとは、ウェジソン・フィッシャー伍長もなかなか殊勝じゃないか」
 ジタンは顎に手を掛けてしばらく考えた。首を傾げて何処とはなしに視線を向けるが、視線の先にある幌布に答が書かれているわけでもなく、頭の中にもそれといえる答は浮かばない。
「……どゆこと?」
「つまり、ここでウェジソン伍長を泳がせて騒動を起こさせ、それを我々が抑える。そうすれば効率向上のせいで気が大きくなりだした連中も突然の騒動に緊張感を持って弛みきった空気は引き締まり、騒動を収めた我々の株も上がる」
「そんな簡単に上がるもんか?」
「少なくともウェジソン伍長に対しては、好悪に関わらず上官としての威厳を保てるだろう。それに、この騒動の事は報告書に載せないと言って恩を売っておけば後々役にも立つだろう。フィッシャー家は厳格・誠実なことで有名な家系だから、この機を逃せばそう簡単に恩は売れないぞ」
 そう言うと、ロナルドは薄っすらと笑みを浮かべた。
 ジタンはというと、『鉄仮面』と呼ばれるほどの無表情男が感情を面に出すことを喜ばしく思いながら、その表情が怒ったものであったり一物を含んだ笑みであったりすることに思い至り、苦笑を禁じ得なかった。





「お、置いて行かれました……」
「置いてかれちまったな」
「置いていかれましたね」
「考えてみれば、ほとんどの兵が民間からの志願兵だったな」
 夜の間に冷えた風が崖の間を駆け抜け、虚しく乾いた音を辺りに響かせている。
 その音を聞きながら、ジタン、ロナルド、ワッツ、ニーダの四人は呟く。彼らの言葉に反応を示す者は一人もいなかった。そもそも、その場には四人以外に人間がいなかった。
 ロナルドが呟いた言葉に続いたのも、ワッツとニーダの二人だ。
「それに、開拓団にいる良家出身者の中ではフィッシャー家が最も勢力が大きいです。軍部人事官にもフィッシャー家の者がいますし……」
「対して両隊長は派兵の一ヶ月前まで文官と民間人でしたからね。事実をチラつかせれば志願兵は伍長側に付くでしょう」
 今この場には四人の他には隊長用テントと四人が個人管理している荷物しかなく、食糧すらない。他の兵や荷や学者たちは全て、朝日に染まる砂塵とともに遥か向こうへ消えてしまった。
 要約すれば、置いて行かれたのである。
「で、付いて行かなかったのがお前たち二人だけ、と」
「アレス、先日アウルヴァルト軍曹が言っていたことを思い出せ。事前に反乱を知っていた人物が少なくとも二人はあの中に紛れ込んでいるんだ。もともと烏合の衆でしかない集団が、そう簡単に事を成しおおせるわけがない。放っておいても瓦解する」
 ロナルドは手元に荷物をまとめて今後の行動の確認をし始めた。――食糧確保をしながら隊を追う。ただし、追いついても合流はせずに様子見に徹する、と。
 特に反対するような理由もなかったジタンも荷物をまとめていたが、ふと過った疑問に手を止めた。
「なあ、ロナルド。……権力ってさ、何のためにあるんだと思う?」
 傍にいるワッツとニーダには、この質問に潜む意味は分からないだろう。しかし、ロナルドには質問の背景を察してくれるはずだ。
 視線の先で、ロナルドは無表情のままきっぱりと言った。
「それは、大した権も持たない我々の与り知らぬところだ。論議するのは時間の無駄だろう」
 権力闘争に巻き込まれて武官に飛ばされた経験のある彼ならば何か的確な答えをくれると思ったのだが、どうも違ったらしい。彼らしいと言えば彼らしい返答に、ジタンは微苦笑を浮かべながら頭を掻く。
 しかし、答はそこで終わりではなかったようだ。支度の手を止めたロナルドは、虚空を見据えているようにも、行ってしまった隊を見透かしているようにも感じられる眼差しでジタンの視線を受け止めて、言葉を続けた。
「権力が何のためにあるのか、権力者はどうあるべきなのか。それは、権力を手に入れたときにアレスが決めればいい」
 それは投げ遣りな言葉に聞こえなくもないが、ジタンにとっては目から鱗が落ちるような言葉だった。事実、目に鱗が付いていれば確実に落ちているほどにジタンは目を大きく見開いた。
「……そうだよな」
 誰かを巻き込んでしまう力を持ち、そうしようと思えば規律すら簡単に乱せる力は実際に手にしてからではなければその実態を理解できないだろう。まして、ジタンが理解しようと思っているのは国を動かすほどの権力だ。ロナルドすら知らないことを訊いたところで実態は知りようもない。
 ロナルドの言う通り、そんなことに頭を使うのは時間の無駄だ。そんなことをしているくらいなら、行動を起こし、実際に権力を手にしてみた方が手っ取り早い。そして、ジタンは手にした権力を自分が正しいと思う遣り方で揮えばいいだけだ。心配することは何もない。全てが上手くいけば、権力を手にしたジタンの隣には求めてやまない美しい小鳥がいる。
 話はもう終わりとばかりに荷物を担ぎ上げたロナルドに、ワッツとニーダも続く。
 その三人に、ジタンは再び声を掛けた。
「みんなに手伝ってほしいことがある」
 迷いが消えたジタンの声に、振り向いたロナルドは左の眉をクイと上げた。





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2008.12.21
last-alteration 2011.01.31