思いもよらなかったスティルツキンの失言の後、ロナルドは誰とも眼を合わせずにゆっくりと椅子に腰かけ、ジタンは依然として身動ぎ一つできずに固まったままだった。そんな二人の様子を見ると、モグオは近く起こるであろう面倒事を察知したのか、そそくさとテントを出ていき、スティルツキンは状況が全く把握できないままにモグオに引きずられるように連れ出されていた。つまり、数分前からテントの中にいるのはロナルドとジタンの二人だけだった。
テントの中には外から聞こえてくる兵たちの話し声や、金属が軽くかみ合う高い音、砂を乗せて吹き付ける乾いた風の音しかしなかった。テントの中では声はおろか、ジタンとロナルドのどちらも身動ぎ一つしないため椅子が軋む音すらしなかった。
結局、ロナルドの全身から漂ってくる詰問の色に耐えかねたジタンは、入口付近に人の気配が無いことと幌布がきちんと閉じていることを確認し、諦めたように小さく息を吐くと、自らの素性を話し始めた。
今の状況に深く関わっているのでアレクサンドリア王女の誕生祭を契機とした旅の話はしたが、テラのことは詳しくは話さなかった。どんなに説明してもテラはもう無い。それに、たとえ話したとしても、実際その場にいなければ途方もない作り話に聞こえてしまいそうに思えて、ジタンは自らの出生地として『テラ』という名の場所があったとだけ話した。
「……なるほどな」
イーファの樹で仲間と別れてシドと共通の知人たち――ようは、タンタラス団のことだが――に助けられた後、シドを頼ってリンドブルム兵となった経緯まで話しきると、ロナルドは静かに言った。
一呼吸置くとジタンに質問を投げかける。
「そして今はアレス・オクティスと名乗ってリンドブルム兵となり、リンドブルムで位を極めようとしている、と」
「ああ」
ロナルドの性格を考えれば慌てることはないと分かっていたものの、想像以上に冷静な彼の様子を見て、ジタンは不思議と肩の強張りが
解けていくような気がした。
仕方のないことだと割り切っていても、自分でも気付かないほど胸の深くで後ろめたさがくすぶっていたのだろう。ジタンは大きく息を吐いて、脱力しきったように椅子の背もたれに身体を預ける。
すると、全く同じタイミングでロナルドも息を吐いた。
正面から彼の顔を覗いたジタンは溜息の理由が分からずに首を傾げる。じっと観察していても、『鉄仮面』に極僅かに浮かんで見える表情が決して落胆ではないことくらいしか分からなかった。
首を傾げたまま不思議そうな顔をして自分を見つめるジタンには気付いていないのだろう。話し掛ける風でもなく、ロナルドは独り言のように小さな声で呟いた。
「最初に会ったときから只者ではないと思ってはいたが……そうか……君が『ジタン・トライバル』だったのか」
「えっ、オレのこと知ってんの!?」
耳に飛び込んできた予想だにしなかった言葉に、ジタンは勢いよく立ちあがる。
対するロナルドは落ち着き払っていた。
「リンドブルム城に忍び込んでおきながら、シド大公殿下の客人として現アレクサンドリア女王と対等の扱いを受けていた人物の話ならば、多くのリンドブルム兵が知っている」
「えっ、もしかして、オレの正体って隊のみんなにもバレてる?」
「いや、警備関連の書面で名前が知れているだけだ。君たちが出入りしていた区画の大半は全面的に緘口令が敷かれているような場所だから、君の人相も一部の者にしか知られていないだろう」
どれだけジタンが正体を隠そうと躍起になっても元から身元が知れていれば意味はない。だがロナルドの言う通りならば、これからも気を付ければ『ジタン・トライバル』と『アレス・オクティクス』の二人が同一人物だと気付く者は最低限に抑えられるだろう。それに、シドも馬鹿ではないのだから側近の者に口止めくらいしているはずだ。
ジタンは再び安堵の溜息を吐き、椅子に腰を落ち着けた。
「アレス」
「なんだ?」
ロナルドはジタンの蒼い瞳を真っすぐに見据える。場違いな気がしたが、ジタンは自分に向けられた鳶色の双眸をとても暖かい色だと感じた。
その鳶色の瞳が問う。
「出自を隠してまで君が求めている……それが何か、聞いてもいいかな?」
「――ただ、一羽の小鳥を捕まえたいだけさ」
ジタンは柔らかく笑った。はぐらかすような自分の答に、少し意地悪だったかとも思ったが、ジタンの中ではこれ以上の答えは無い。
短い言葉の中に込められた意味を分かっているのか、いないのか。ロナルドは笑みも浮かべず、ただ左の眉をクイと上げただけだった。そして、何事も無かったように言った。
「さて。仕事に戻ろうか、アレス・オクティクス」
「ああ」
ジタンがロナルドに自らの素性を話した日は、折よくというべきか、もともと休日と決められていた日だった。当然のことだが行軍はなく、兵は思い思いに自由な時を過ごしている。一方、学者たちは移動も調査もない休日こそ仕事時として調査結果を報告書にまとめることに精を出していた。
そして忘れ去られた大陸が暮色に染まった夕刻、ジタンとロナルドの目の前には分隊長たちと学者たちが提出した報告書が広げられていた。
今回、開拓団が出発する前にジタンとロナルドは、物資の補給は期待しないでほしいと言われていた。飛空艇の運航予定や忘れ去られた大陸の地形を考慮すると補給活動は困難なのだそうだ。大陸到着以後に飛空艇を見れるのは撤退時だけだとシドは言った。
そのため調査に出るにあたり、食糧や治療薬は保存と運搬の限界に合わせてできるだけの量を持って来た。そして、食料と治療薬を可能な限り多く積むために犠牲になったのは紙だった。学者たちは、端書は紙ではなく白墨で転がっていた石に書くなどして紙の消費量を少なくする工夫を行っていたが、調査がいつまで続くか分からない現状でどのくらいの配分で紙を使えばいいのか分からない。ただでさえ信用のおける調査期間の目処は立っていないのに、紙の使用量の目安にされた先発開拓団のずさんな調査報告書と今回の調査報告書には著しく充実度に違いがでてきており、紙の消費率も今回の方が著しく多いのだ。
目に見えて少なくなっていく白紙の量に対する焦りの顕れなのだろう。ジタンたちに提出される報告書は全て字が小さく、これでもかというほどに隙間なく書き込まれている。
目の前にびっしりと広がる細かい文字群に疲れを覚えてジタンが目頭を揉んでいると、テント入口の幌布の向こうから声が聞こえた。
「アレス隊長いらっしゃいますか?」
「ああ、いるぜ」
「少々、お時間よろしいでしょうか?」
「いいぜ。入ってこいよ」
「失礼いたします」
テントを訪れたのはワッツだった。必要最低限の広さしか幌布を開けずにそそくさとテントに入ってくる彼の様子は、やはり小動物を彷彿とさせる。
ワッツは入口の幌布を丁寧に閉じると、机に着いていたロナルドを見てはっと僅かに目を見開いた。
「ロナルド少尉もご一緒だったのですか」
「私のことは気にしなくていい。報告書に付きっきりで周りの会話など耳に入らないからな」
「いえ、よろしければロナルド少尉にもお聞きいただけないでしょうか?」
ワッツの言葉に、ロナルドはゆっくりと書類からワッツへ視線を移した。
報告書提出後の数時間は両少尉とも執務に就いていて、警備以外の兵たちは遠慮してテントの周りに近付かない。だが逆に言えば、この時間帯はジタンもロナルドもテントにいるということだ。だからこそテントを訪ねてきたのだろうに、ワッツの行動と言葉は短い時間の中ですら色々と矛盾している。
常々ジタンはワッツのことを小動物のようだと思っていたが、だからといって頼りないとは少しも思っていない。多少面倒臭がりな部分はあるが観察力と情報収集能力は並外れていて、自隊の兵の特徴を把握するときには大きな助けになった。
そんな彼の様子は、普段と違ってそわそわしている。
それを見て取ったジタンとロナルドは手にしていた報告書を改めて机上に置くと、改めてワッツを見据える。
「それで、どうしたんだ?」
「……両隊長に、お知らせしたい事があるのです」
深刻な表情を浮かべながら、ワッツは口を開いた。
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