生きているものは種の優劣に関わらず全て、心臓や血管や神経に寄り添うように張り巡らされた『魔脈』と呼ばれる魔力の通り道を持っている。魔脈は寄り添う器官に影響し易いよう発達を遂げ、部位によって臓器や血管や汗腺のような形に機構を変えている。そうすることで他の器官の代用や制御に役立っているのだ。
これらの作用を実用的に発展させたものが魔法だ。
戦闘不能に陥った者を回復させる蘇生魔法は、相手の魔力の源である部位に短時間で大量の魔力を送り込むことにより隣り合う心臓を活性化して蘇生を行う。混乱や眠りなどを引き起こす神経魔法は、相手の魔脈に自分の魔力をのせて神経を操作することにより神経を犯す。これらの魔法の応用により、神経を侵された者を治すこともできれば、死に至らしめることすらできてしまう。また、持続的に特定の微弱な魔力を流し込むことによって魔脈を鍛えて耐性を付けることもでき、同じように特殊な魔力を流し続けるようにして魔脈の密度や強度を高めることもできる。
その特性と後天的な魔脈の拡張が可能である原理を利用した防具が多くある。そういった特殊な防具をある一定期間身に付けていると、それぞれの装置が放つ魔力に合わせた耐性魔脈ができるのだ。魔脈の形成期間は性質や人によりまちまちだが、生まれつき魔脈が強く柔軟な者は例外として、普通の者ならば同時に複数個の耐性を付けようとすれば形成期間は長くなる。
このような耐性を付ける道具を活用したジタンの提案に基づいた編隊のおかげで、開拓団の兵が魔物を倒す効率は格段に上がっていた。現在取りかかっている二つ目の山脈は細長い特殊な形状をしていたために大きさの割に調査が長引いて調査中に魔物が現れる回数も少なくなかったにもかかわらず、今のところ死者も重傷者も出ていない。
「過去の開拓団の成果を見る限り、半月経ちながらもこの兵力を保っていることは素晴らしいと言える」
ロナルドは報告書に視線を落としながら言った。その報告書には今日までに出た負傷者数、消費した道具の総量、破損物の一覧などが書かれている。傍らに並べてある報告書は、過去三度に亘って派遣された開拓団の報告書の写しだ。
見てみろと言われて渡された書類にジタンがざっと目を通すと、なるほど、過去の開拓団は今回の開拓団より行程こそ進んでいたものの医療品の消費量が多く、報告にはジタンでもわかるほどの粗が目立っていて、今回の調査で発見出来た鉱脈も見落としている。ずいぶん功を焦っていたらしい。
「物質的にも精神的にも今回の方が余裕があるようだ」
「前回がどうだったかは知らないけど、やる気も今回の方がありそうだよな」
現在取りかかっている山の調査が始まり行軍が一端止まった日に、休憩ローテーションを見直してはどうか、という申し出があった。二交代制を三交代制にして警備と休憩時間の間に鍛錬ができる自由時間を設けた時間配分にするというその申し出は、兵たちが環境に慣れた証拠に他ならないだろう。実際、負傷以外の体調不良者は上陸以来一人も出ていない。
「この分だと、そのうち魔物との戦闘も心配せずに任せられる」
先刻行われた会議でローテーション変更の案件が話し合われたときも特に反対する者が出ることはなく、具体的な問題まで検討されてすぐにも実現できるほどに練り上げられていた。
まだローテーションを変更していない今も、休憩時間を潰して魔物の特性や弱点について論議している兵の声が幌布の向こうから聞こえている。ジタンもロナルドも多く口を開かないためにテントの中では兵の声が際立って耳に入り、ときには的外れだったり、逆に、驚くほど的を射ていたりする意見を届けてくる。
すると、その声を薙ぐように平面的なロナルドの声がジタンの耳に飛び込んできた。
「そろそろ落とし時だな」
「……『落とし時』って、なんだ?」
「調子に乗ってきたところを一旦落とすと、乗り越えた後はそれまで以上に士気が上がる。だから、そろそろ兵の気力を挫けさせるべきだということだ」
調子に乗り過ぎられても困るからな、と言いながら水を飲んで口を潤すロナルドの顔には表情の欠片もない。
(人を率いることに長けているってシドのおっさんは言っていたけど、こういう計算高さが物を言うのか……)
自分には思いもつかなかった考えにジタンが頬を引き攣らせていたとき、テントの出入口の布が何の前触れもなく開く。気付いたジタンがそちらを見るが、そこには誰もいない。
しかし、ロナルドには『誰か』が見えていたようだ。
「君は誰だ?」
誰何するロナルドを見ると、彼の視線はジタンが向けていた所よりずっと低い場所に向けられている。それに合わせてジタンが視線を下ろすと、そこでは大きなバッグを肩から提げたモーグリがジタンを見上げていた。
「アレス、久しぶりクポ!」
「……モグオか?」
「そうクポ!」
片手を挙げて返事をした彼は、旅の途中でなにかと世話になったモーグリだ。彼はジタンが知るモーグリの中で一番足が速い。
「突然どうしたんだ?」
「急ぎの手紙を渡しに来たクポ!」
ジタンは突然の訪問者に警戒していたロナルドに安心していいと手で合図しながら手紙を受け取った。その手紙には、一振りの剣を背負った翼の生えているハートが描かれた緑青色の封蝋が施してあった。タンタラス団の密書だ。
『アレス』という偽名で呼んだモグオに、安堵しながらも疑問を抱いていたジタンは得心がいく。タンタラスと接触していたのなら、そのときにジタンの偽名について言い聞かせられたのだろう。
ロナルドの前で密書を読むわけにもいかず、ジタンは手紙をしまった。しかし、
「小用を思い出した。誰か来たら、すぐに戻ると伝えておいてくれ」
急ぎだと教えられた手紙を懐に入れたジタンを見てその手紙が密書であることを察したのか、ロナルドはテントを出ていった。
「内容は何クポ?」
腰袋から専用の液体を出さない内から、せっつくようにモグオが言う。ジタンは近くにあった蝋燭で手早く炙り出して手紙を読み始めた。
「ただの近況報告だな。――オレのこと、モーグリは全員知ってるんだな」
「みんな、アレスって呼ぶように頑張ってるクポ!」
「開拓が終わってもリンドブルム領土内での任務ばかりになるだろうから、実際にオレと会えるのは一部の奴だけだろうけどな」
ジタンが蝋燭の火で手紙を燃やしてしまったとき、テントの外からジタンを呼ぶロナルドの声が聞こえた。
「サンキュー、もう入ってきてもいいぜ」
念押しのように「入るぞ」と言ってから入口に立ったロナルドは、余分に幌布を押し上げると足下に視線を落とした。
「こちらも君の客人だろう?」
彼の足の横にできた僅かな空間からトテトテと入ってきたのは一匹のモーグリだった。使い古して黄ばんだフード付きのマントを羽織り、溢れんばかりに大量の地図を詰め込んであるバッグを背負った姿は、モグオとは似ても似つかぬ特異なもので、それでいてジタンにはお馴染みの格好だった。
「スティルツキン、久しぶりだな! 元気だったか?」
スティルツキンは定住を基本とするモーグリには珍しい、旅好きのモーグリだ。彼はジタンたちが行く先々で路銀稼ぎと称して貴重なアイテムを売ってくれ、多くの危機をともに乗り越えた仲だ。会っている時間こそ短かったがジタンたちとの絆は深い。
スティルツキンはモグネット本部長のアルテミシオンと交流があるために情報網が広く、ジタンも、彼ならば諸事情を把握しているだろうと高を括っていた。
だが、
「よく言うぜ、ジタン。お前さんこそ大丈夫だったのかよ? 五ヶ月も行方くらましてやがって。女王さんは心配してるってのによ〜」
スティルツキンの言葉にモグオの口がパクリと開き、ジタンの身体がびくりと揺れた。それきり石化されたように動かなくなった二人の目は、スティルツキンを興味深そうに見つめているロナルドから離れない。
「どうしたんだ、黙っちまって?」
唯一状況を分かってないスティルツキンの呟きがテントの中に小さく消えていくと、おもむろにロナルドがしゃがみこんだ。
「スティルツキンさん、でしたか。――あなたは『ジタン・トライバル』を知っているのですか?」
そう言いながら、すっと手を持ち上げる。
その指し示す先に座っているジタンは身動ぎ一つできずに冷や汗を流していた。頬を引き攣らせながらも必死にスティルツキンを見詰めてアイコンタクトで気持ちを伝えようとするが、異種族間では通用しないのか、はたまた受信側の誠意が足りなかったのか、無情な声がテント内に響いた。
「おうっ! ジタンだけじゃなくて、俺はアレクサンドリア女王様とも長い付き合いなんだぜ!」
BACK
MENU
NEXT