魔物の手を逃れた先行隊が目的地へ到着したのは夜明け前だったにもかかわらず、カトブレパスとの戦闘を終えた後続隊は攻撃によって眠らされた者たちの回復を待つ必要があったために太陽が南天に上る頃になってやっと目的の山に到着した。学者たちは五人全員が先行隊の中に組み込まれていたので、後続隊が着いたときには既に鉱脈の調査を始めていた。
初めての魔物の襲撃より六日。その間の開拓団での専らの噂は、第二小隊長アレス・オクティクスの事だった。獰猛なカトブレパスを一瞬で倒したという彼の腕は、後続隊が到着してから一日とかからずに全隊員へと広まった。しかし次の一日では、彼のお調子者っぷりが広まっていた。ジタンはそのことを知りながらも汚名を返上しようとはせず、噂は覆されないままだ。
「アレス隊長、予定では今日の夕方までに全ての調査が終わるそうなんですから、最後くらい、もっとシャキッとしてくださいよ」
「つっても、もうすぐ交代だろ? 交代の時間まで寝させてくれよ……」
そう言って、ジタンは大きな欠伸をすると目を閉じた。既に岩に腰掛けていたので、その姿は居眠りの準備万端といったところだ。
「隊長、普通は交代の時間に入る前ではなく、入った後に睡眠をとるものですよ」
そう言う隊員に対し、ジタンは何の反応も返さない。
一緒にいる隊員も周りにいて様子を見ている隊員も、深く溜息を吐くと諦めたように苦笑を零した。
すると、遠くのテント群の方からロナルドの声がした。
「アレスは何処だ?」
ロナルドが辺りを見渡しながらこちらへと歩いている。
「た、隊長、起きてください! アレス隊長!」
ロナルドに気付いた傍らの隊員は必死に起こそうとするが、寝ている振りをしているだけだと思っていたジタンが本格的に眠っていることに気付き、焦りだす。少しずつ近づいてくるロナルドも、焦りを助長させる要因となっていた。
しかし隊員の努力も虚しく、ジタンを起こせないままにロナルドに気付かれてしまった。ロナルドは居眠りしているジタンを見つけると誰にもわからないほど微かに眉根を寄せた。
「ロ、ロナルド少尉!」
隊員はジタンを起こすのを諦めて慌てて立ち上がると、ぴんと背筋を伸ばして敬礼をする。ロナルドは手を上げてそれを制した。
「君に責は無い。用があるのはこいつだけだし、悪いのもこいつだけだ」
ロナルドはそう言ってジタンの前に立つと、持っていた書類でジタンの頭を強か叩いた。――殴った、と言った方が正しいかもしれない。
「てっ」
「起きろ、アレス。会議をするぞ」
「会議……そんな予定あったっけ?」
「無いが、居眠りよりは有意義だ」
「……はいはい、わかったよ」
ジタンは立ち上がると伸びをして腰を左右に捻る。そして一度大きく欠伸をすると、尻を掻きながらテント群の方へと歩いて行く。自分を呼びに来たロナルドは放ったままだ。
「警備ご苦労。それと、このお調子者の面倒もな」
「いいえ、滅相もございません!」
無表情のままに礼を言うと、ロナルドはジタンの後に続いて行った。
敬礼をしたままそれを見送った隊員は、小さく聞こえた「お調子者って誰のこと?」という言葉に眉間に皺を寄せる。そして、それに返したロナルドの言葉に思わず吹き出した。
「鏡を覗けば会える」
テント群の中で一番大きい会議兼小隊長用のテントでは、小隊長二人、分隊長八人、学者5人の計十五人が会議をしていた。
その中の一人、簡易机に着いているロナルドが、正面に座るジタンに訊ねた。
「じゃあ、アレスは主要・補助攻撃部隊をさらに細分化するべきだと言うのだな?」
「ああ。この前カトブレパスに『悪魔の瞳』の攻撃を受けた時、あそこにいた隊員の四分の三くらいが眠っちまった。今後、こういう特殊攻撃をしてくる魔物がいっぱい出てくると思う。だけど、これら攻撃の耐性をつけるには時間がかかる。全員が全部の攻撃に対して耐性をつけるとなると開拓作業と同じくらい時間がかかるかもしれない」
ジタンの言葉に、その場にいる全員が頷きを返す。
「なら、隊の中で分担を決めた方が効率がいい。一種類の攻撃に集中して耐性をつけさせるんだ。そうして、現れた魔物に合わせて戦闘部隊を配置すれば、いちいち編隊を考え直す必要はない。それに隊員は一定の魔物とずっと向き合うわけだから、相手の特徴や弱点にも気付くだろうし、魔物一つひとつに対する専門部隊が自然とできる。そうすると魔物を倒す効率も上がるし、隊員たちにも自信がついて士気も上がる。悪いことはないと思うんだけど?」
再び、全員が頷きを返す。
「アレスに反対意見のある者は?」
「あの、反対という訳ではないのですが……」
学者の一人がおずおずと手を上げた。彼は学者たちの中で一番若い。
「なんでしょう?」
「私は学者なので差し出がましいようですが……その分担というのは、どれだけの数に分ければいいのでしょう? 私は魔物の生態学なども齧っていたので出発前に一通り調べたのですが、この大陸の魔物に関する文献は見つかりませんでした」
ロナルドは若者の意見を聞き、アレスに視線を向ける。
「アレス、君は知っているのだろう?」
「ああ」
「知っているのですか!?」
若者以外の者も驚いたように目を見張る。中にはわずかに腰を浮かす者もいた。しかしほとんどの者は一瞬の後に、ジタンの腕が立つという噂を思い出したのか、少しだけ納得したように席に落ち着いた。
「原住の魔物だけじゃなく、霧が発生した後に新たに出現した魔物も把握しているぜ」
「ここでも霧が発生したのか?」
この事実にはロナルドも驚きの声を上げた。
霧の大陸という名称が通用したように、霧はガイアの中でも一つの大陸にしか蔓延していなかった。冒険家の文献などでしか他の大陸の存在を知らない霧の大陸の住人は当然、再発生した霧が他の大陸にも出現していたことを知らない。
「ああ。そいつらの事も含めて考えると、睡眠・毒・凍結・混乱・暗闇に対する耐性が必要だな」
霧がガイア中に発生していたときの経緯を話すと自分の正体を明かしかねないので、ジタンは少々強引に話を進める。
どういう編隊にするべきかと具体的な意見を求めるジタンに、その場にいる者は真剣に考えを巡らせ始めた。
しかし、ただ一人、ロナルドだけはジタンの瞳をじっと見ていた。奥に映る何かを見透かすように、じっと見つめていた。
翌日の昼過ぎ。
既に編隊を終えた兵たちは、与えられた休日を存分に満喫していた。といっても、見渡す限り荒野と断崖が広がる灼熱の陽光の下ではすることなどなく、皆、テントの中でカードゲームに興じるか、睡眠をとることくらいしかすることがない。
そして、ジタンは後者を選んでいた。
「失礼致します!」
隊長用のテントの中に響いたニーダの声に、両腕を頭の後ろに回しながら椅子で眠っていたジタンは目を覚ました。
「アレス少尉。先程、不審な男が現れ『金髪の、最近現れた十代後半の年頃の男を知らないか』と言っているのですが」
「それって、オレか?」
「少尉の他に該当するような者に会わせましたが、『もっと、ふざけた野郎だ』と言っておりまして……」
「それでオレに言いに来たのね」
ジタンは苦笑した。
正体不明の者を不用意に隊長と会わせるわけにはいかなかったが、該当者がいなくなったため今頃になってジタンを呼びに来た、という事情なのだろうが、捉え方によっては『ふざけた野郎だ』という条件を加えたことによって該当者がジタンだけになった、とも取れなくもない。
「誰だか知らないけど……ま、会ってみますか」
立ち上がったジタンがニーダに案内された場所は、テント群からは大分離れている岩の側だった。そこには腕を組んで佇むロナルドがいた。彼の傍らには愛用の弓と剣が立て掛けられ、背には矢筒を負っている。
「よっ、ロナルド。こんな所で何してんだ?」
「不審者を放っておけるはずがないだろう」
「ああ、大丈夫さ。確かに不審な奴だけど、こいつの身元はオレが保証するから」
そう言うジタンとロナルドの向こうには、ロナルドと同じように腕を組んで大きな岩に寄りかかっている男がいた。
並外れた長身と青白い肌、盛り上がった筋肉は身体に蓄えた力の程を如実に表していて、燃えるような赤いドレッドのリーゼントスタイルは異色を放っていた。
「久しぶりだな、サラマンダー」
「ふん、やっぱり生きてたんじゃねぇか」
「まあな。どうせ、気付いていたんだろう?」
にやりと笑みを交わしながらサラマンダーに近づくと、ジタンはロナルドがテント群の方へ戻って行ったことを知りながらも、サラマンダーにしか聞こえないほどの小さな声で「今は『アレス』だ」と呟いた。
「『アレス』、か。お前はここで何をしていやがる」
「高みを目指してる、ってところだ。――そう言うお前さんは?」
「ちょいと、ダゲレオに用があってな。開拓団の話は聞いていたんで、もしやと思って様子を見に来た」
「そうか。暇がなくて、タンタラスのやつらに何の連絡もできなかったからな。あいつらも心配しているかもなあ」
「それはどうか知らんが、お前の捜索は打ち切られた。あれは元々、お前とクジャの治療に向かうミコトのためのカモフラージュだったんだろうからな」
「そうか……」
捜索の打ち切りはジタンの完全回復の結果以外の何ものでもないが、それを知らない者にとってはジタンの生存している確率が大幅に下がったことを意味するだろう。
「ところで、お前はウイユヴェールの存在を忘れたわけじゃねぇだろうな?」
「忘れるわけないさ。シドのおっさんからも頼まれていることだしな」
シドはジタンたちの開拓団が奥地にまで辿り着くだろうと考え、ジタンにウイユヴェールを隠蔽するように指示を出した。
ウイユヴェールはテラの歴史と技術の結晶だ。その知識は素晴らしく画期的なものでもあるが、高次的であるために悪用されかねない。そうさせないためにも、早い段階で隠す必要がある。
「なにか方策は考えているのか?」
「細かい所は決めてない。でも、とにかく人手が必要なんだ。手伝ってくれないか、サラマンダー?」
「ふん」
ジタンの言葉を鼻で笑ったサラマンダーだったが、彼が反対するときはそのことを明確に口にする。そのことを知っているジタンは彼が了承してくれたと取った。
「そこで、頼みたい事があるんだ」
計画をサラマンダーに話しているジタンは気付いていなかった。テント群に戻ったロナルドが、小さく見えるサラマンダーの姿をじっと見つめていたことを。
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