どこを見渡しても極端に緑が少ない平地とヒビ割れた断崖しか見えない荒涼とした景色が広がり、遮るものが近くに無いせいで強い陽光が容赦なく照りつけてくる。服の下では汗が後から後から滲み出てくるにもかかわらず、そんな事は知らないとばかりに砂を多分に含んでいる乾いた風が身体を嬲る。
 霧の大陸を離れて四日、故郷の地とは似ても似つかない環境に慣れた者は少ない。
「もう、この大陸に入ってから三日経った。今晩には出発していいと私は思うのだが?」
「ああ。いいかげん、環境の把握はできただろうからな」
 乾いた大地の一角に設営された多くの幌テントの一つにジタンはいた。目の前には、簡単に解体できる木製のテーブルとその上に広がる世界地図、そしてテーブルを挟んで向こう側に男が一人。
 この男はロナルド・フォードといい、ジタンと同じく開拓団の小隊長を務めている。身長はジタンよりも少し高くヒトの平均身長の範囲内といったところだが、線が細いせいで長身に見える。色白の肌と後ろで一つに纏められている柔らかそうな鳶色の髪、それと同色の賢そうな瞳は決して武官には見えない。しかし、テントに入ってマントや上着を脱いだときに現れた腕の肉付きなどは、ジタンほどではないが引き締まっていて運動不足の様子は見受けられなかった。
 彼は、元々は切れ者の文官として評判だったらしいが、弓の腕を買われて最後の開拓団派遣を機に武官へ転向したそうだ。だが実際のところは、ジタンと一つしか違わないという若さで頭角を現してきたロナルドに恐れをなした上官たちが畑の違うところに飛ばしたらしい。
(『出る杭は打たれる』って言うけど、思いっきり打たれちゃったわけね……)
 そんなロナルドがこの土地に到着して最初に言ったことは「これより、テントを設営する」の一言だった。これから自分たちが拓いていく未知の大陸に好奇心を抱き、今まで他の者たちが達せられなかった成功を期待していた兵たちは出鼻を挫かれたような表情を浮かべていた。
 実際、ジタンもその中の一人だったのだが、一晩経って彼の判断が正しい事だとわかった。
 急な環境の変化についていけずに体調を崩す者が出てきたのだ。先日シドが危惧していたように、組まれた二小隊の中には民間からの志願兵が多くいた。その中には国を初めて出たという者もいて、そういう者たちのほとんどが、また、そういう者に限らず、乾燥した空気に咳が止まらない者や強い日差しに頭痛を訴える者、昼夜の寒暖の差に腹を壊すものが続出した。





 ジタンとロナルドは、ロナルドが仕事の引き継ぎなどで時間をつくれなかったために出兵の前に一度しか会えず、作戦会議などをする時間も無かった。にもかかわらず、ほぼ丸一日を費やす飛空艇での移動中で、ロナルドはジタンから大陸の地形や気候の特徴を聞いただけで、特に意見交換をしようともせず、残りの時間は兵への挨拶と睡眠に当ててしまった。そのあまりにものんびりと構えた様子に、能天気だと自負するジタンすら「ちゃんとやっていけるのか」と不安に思ったくらいだった。
 しかし、ロナルドはちゃんと考えていた。思い返してみれば、内用薬の確認に時間をかけていたし、飛空艇の着陸ポイントは魔物の出現が少ない所にすると強く主張していた。もしも、環境の変化など物ともしないジタンが何も考えずに行軍させていたら、今いる病人たちを抱えて魔物と戦わなければならなかったかもしれない。
 ――あやつは面白いぞ。
 ジタンはシドの言葉を思い出した。
『先ほどは悪く言ったが、あやつは面白いぞ。性格が固い上に無愛想なせいで上官受けは悪いが、細かな点に気が付いてフォローができるから部下たちには慕われておる。おぬしと一緒にいることで少しは堅苦しさが抜ければいいんじゃが……』
 それに、こうも言っていた。
『博識じゃし、人に教えるのも上手い。何より、人を率いることに長けておる。おぬしも、あやつと付き合っていくうちに色々なことに気付けるじゃろう』
 嬉しそうに、楽しそうにシドは言っていた。あの笑みには、自国に良い人材がいることを誇りに思う気持ちだけでなく、ジタンが自分の欠点にぶつかることを楽しむ気持ちがあったのだろう。
(自分だけじゃいけないんだよな……。ちゃんと、周りにいる人に合わせて進めていかなきゃなんだよな)
 ジタンは、自分が四ヶ月も眠ってしまったことに焦っていたのかもしれないと反省する。そして、自分の焦りに他人を巻き込むようではいけないと肝に銘じた。
 だが、他人を巻き込まないように考えすぎて、他人の存在を忘れていたらしい。
「……レス。……アレス。……オクティクス。……アレス・オクティクス!」
(アレス・オクティクスさん、呼ばれてますよ〜。――……って、オレだ!)
「は、はい!!」
 ロナルドは無表情の中に、これでもかというくらいに不機嫌さを表していた。矛盾した表現かもしれないが確かに彼の顔には表情が無く、それでいて視線には察するに余りあるほどの感情が込められていたのだ。
「まったく、君の名前だろう。一度で返事してくれないか」
「は、ははは」
 まさか、偽名だから呼ばれ慣れていないんですとは言えない。
「で、どこから聞いていなかったんだ?」
「今晩出発する、って話の後から……かな?」
「ほとんどの議題を適当に答えていたわけだな?」
「え、オレ答えてたの?」
 ジタンの言葉にロナルドは僅かに眉間に皺を刻み込んだ。そして、引き攣った表情を浮かべながら口を開いた。
「砂対策用にマスク代わりの布を支給する件に関しては、賛成。食糧・飲料・武器などの荷物は必要最低限を個人管理とする件に関しても、賛成。残りの貨物は一つにまとめるという意見には、二つに分けろと反対。行軍の休息日は七日に一回にする件に関しては、とりあえずはそれでいいが様子を見て調整しろと、当然私も考えていることを発言。そして――各々の小隊のうち第一・第二分隊二十人を主要攻撃に、第三分隊十人を攻撃補助に、残りの第四分隊を貨物および学者の護衛に、学者五名は貨物の管理に、我々二名は前方・後方に分かれて指示を出して休憩時に連絡を取り合う。緊急時には、それぞれの副官を伝令として走らせる。――ということを、議論を繰り返した末に決定させたはずなんだが、最終決定の是非を訊いたらついに返答をしなくなった!!」
 メモも見ずに一言も噛むことなくそれだけ言いきると、荒く息を吐きながらジタンを睨みつけた。
「だ、大丈夫だって。無意識だったけど、オレが言っていた意見には全部賛成だから」
 自分の意見に反対も何もあったものではないが、ジタンは無意識の間でもちゃんと意見を出した自分に感心していた。
 が、目の前の男は違うらしい。
「だったら最後まで意見を返してくれ! というか、それ以前の問題だ! 最初から最後まで、ちゃんと集中していろ! 時間とエネルギーの無駄だ!」
 怒鳴っているうちに口調まで変わってきた。そのうえ大声を出し過ぎたのか、言い終わった途端に咳き込み始める。
「おいおい、そんなに怒るなって。気を長く持ってないと将来ハゲるぞ」
「それが、十回名前を呼ぶまで耐えてくれた相手に言う科白か?」
「……すみません」
 ジタンが謝ると、ロナルドは白い頬を上気させながら鼻息も荒くテントを出ていく。
 ロナルドが不機嫌そうな口調で呟いた、皆に知らせるぞ、という言葉に慌ててジタンも彼に続いた。





 日が沈みきる少し前。夕食を手早く済ませて編隊も整えたときに、副官のワッツ・アウルヴァルトがジタンに近づいてきた。
 彼はジタンと同じくらいの背丈で体形も比較的ジタンに似ているが、どうも動きが忙しなくて小動物を見ているような気にさせる。人懐こい表情や態度もそれを助長させているのだろう。
 本人は真面目なつもりなのかもしれないが、わざとらしく見える真剣な顔を寄せてワッツが口を開く。
「自分、ロナルド少尉が怒っているところを初めて見ましたよ」
「そうなのか?」
「はい。他の隊員も言ってました」
「あいつ、怒らないのか?」
「面識は無いので詳しいことは知りませんが、感情を表に出すこと自体がないようです。『鉄仮面』って異名があるくらいなんですよ」
 確かに、ジタンはロナルドと初めて顔を合わせたときに表情の少ない奴だと思ったし、飛空艇内でも表情の変化は見られなかった。しかし対照的に、数刻前にテントを出て行くときは顔を真っ赤にしながら怒っていた。
「向こうの隊でも、アレス少尉がロナルド少尉の鉄仮面を剥したと、その話題で持ち切りですよ」
 ジタンは、なぜ忙しく仕事をこなしていたはずの副官が他の隊の噂話の内容を知っているのかと不思議に思ったが、尋ねるほどの事でもないと思ったし、遠くからロナルドの呼ぶ声が聞こえてきたので適当に頷き返すと歩き出した。
 視線の先ではロナルドが自分の副官と話している。
「なんだ、ロナルド?」
「そろそろ時間だ。アレスが先行隊でいいんだな?」
「ああ。ここには慣れてるからな」
 ジタンの言葉に二人の副官は小さく首を傾げる。ロナルドはじっとジタンを見つめるだけだった。
 その視線は鋭いわけでも、冷たいわけでもない。しかし、自分が水晶玉になったように思わせるような、見つめているロナルドには何もかもが見えているのではないかと思わせるような雰囲気があった。
 ジタンは、自分がロナルドの鉄仮面をとったと聞いて、ロナルドをからかって楽しめるような気が少しだけしていたのだが、そう簡単にはいかないようだ。ロナルドの鉄仮面を取って遊んでいるうちに、ジタンの仮面を取られてしまいそうだ。――『アレス・オクティクス』という仮面を。
(こりゃ、前途多難ってやつだな……)
 ロナルドの視線から逃れるように向けた水平線では、今にも日が沈みそうだ。
 もうすぐ、出発の夜が来る。





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2007.12.23
last-alteration 2011.01.31