「ジタン、明日の夜ならシドの奴が会えるそうだ」
 そうバクーが言ったのは、ジタンがリンドブルムに戻ってから五日目の夜。明日の修行に備えて武器の手入れをしていたときだった。





 深夜、バクーとジタンはアジトがある劇場街を出た。
 突出した飛空艇技術を有しているリンドブルム公国には、リンドブルム城下を移動する主な手段として小型飛空挺に似た乗り物がある。そのエアキャブという乗り物は、後部下に取り付けられたプロペラと局所に設置された誘導用のレールによってだけで飛ぶ単純なものだったが、馬力もあるし、霧機関から蒸気機関の切り替えの試験段階で簡易蒸気機関を搭載させている型も造られていたため、霧が消えた後の復興作業にも大きく役立った。また、エアキャブは製作権を個人ではなく国が有しているので、公共機関として無料で利用できるということも国民には大きな助けとなっていた。
 リンドブルム公国首都リンドブルムは、リンドブルム城、商業区、劇場街、工場区、と大きく四つに分けられており、それぞれの区へは歩いて行けないこともないが、土地柄で高低差の大きい街を歩いて移動しようとする者は、自分の体力に大層な自信があり理性が著しく欠如した者か、とてつもなく長い暇を持て余している物好きくらいだろう。
 バクーもジタンも体力には自信があったが理性はちゃんと備わっていたし、時間の余裕もなければ物好きでもなかったので、劇場区にあるエアキャブを利用した。
 宵っ張りの技師たちのために年中無休で運送しているエアキャブに乗り、リンドブルム城をわざと通り過ぎて商業区で降りる。
 工場や飲み屋が立ち並ぶ工場区と違い、商業区には商店や民家が多い。そのため今時分の遅い時間になると店はほとんど閉まってしまって、家から出る者も滅多にいない。
 二人が人気もなく静まりかえった商業区を突き進んで一番奥まった所にある噴水広場まで歩いて行けば、そこには一人の男が立っていた。貧しそうでもなければ裕福そうでもない、ごくごく平凡な服装をした男だった。
 ジタンはその男の顔に見覚えがあった。以前リンドブルムがアレクサンドリア占領下にされてしまったときに、霧の大陸を秘密裏に出ようとしていたジタンたちの手引きをしてくれた男だ。
 その計画そのものはシドが立てたものだった上に、シドが計画をジタンたちに話して聞かせた日のうちに大陸を出るという強行軍だったにもかかわらず、この男は武器調達のために街に降りたジタンたちの手引きをしてくれた。つまりは、シド直属の人物であることは確かだ。
 男は近づいてきたバクーとジタンを一瞥すると、顎をしゃくって奥の暗い路地を示す。
「ついて来い。――殿下がお待ちだ」





 入り組んだ路地や隠し通路や仄暗い階段などを何度も通っていき、いい加減方向感覚に自信を失ってきたとき、男は変な形の扉を押し開けた。
 突然差し込んできた光にバクーが外していたゴーグルを着け直し、ジタンが目を細めると男は仕草で早く出るように促す。
 二人が扉から出るなり男は素早く扉を閉めた。ジタンが振り返って見てみると、すでに閉じられた扉は壁の一部にしか見えない。扉が変な形をしていたのは、カモフラージュのために壁の装飾に合わせて造られていたからのようだ。
「久しぶりじゃな、ジタン」
 掛けられた声に向き直ると、ジタンの目の前にある壇上の椅子でシドが悠然と座っていた。隣には文臣で最高位の宰相を務めているオルベルタが控えている。
 案内された部屋には見覚えがあった。物理的にも体制的にもリンドブルムの頂点に位置する、大公の間だ。
 直接この部屋に出られたということは、どうやら大公の緊急避難用の隠し通路を案内されてきたらしい。つまり、たった今ジタンは国の重要機密を知ってしまったという事になるのだが、夜道だったせいで目印の一つも見つけられなかったため、自力で帰れと言われてもアジトに辿り着ける自信は全く無かった。もっとも、そんな道だからこそシドは夜間の使用を許可したのだろう。
「元気そうじゃな」
「おっさんもな」
「ずいぶん待たせおって」
「オレも寝過したって思ってるさ。だからアンタにどうしても頼みたかったんだよ」
「何が望みじゃ?」
 ジタンは先ほどの男とバクーを置いてシドの前に進み出る。そして、わずかに笑みを含んだシドの瞳を見上げながら言う。
「名誉と金と知識だ」
「長い眠りの間に、ずいぶん俗がましくなったようじゃな」
「どうしても欲しいものが、気持ちだけじゃ手の届かない高みにあるんだ。それを掴み取るためには、名誉と金が一番効率のいい踏み台になるからな」
「知識は何のために欲するのじゃ?」
「掴んだだけじゃ意味がない。守るためには豊富な知識が必要だろ?」
 ジタンの欲しいものは、高みにとまっている一羽の小鳥だ。その美しい小鳥は決してジタンのもとに飛んで来ることはない。飛んで来てはいけないとジタンもわかっている。だからジタンは、小鳥のいる高みにまで自分が飛んでいくことを決心したのだ。小鳥のもとまで飛んでいき一生涯をかけて守り通すと決心したのだ。
 ジタンが笑ってみせると、言わずとも彼の決心を感じ取ったのか、シドも笑い返す。
「……おぬしも運がいい」
 低く小さく呟いたシドの言葉にジタンは小さく首を傾げた。
 しかし、シドはジタンの疑問に答える気はないようで、唐突に質問を投げかける。
「今、霧の大陸全土が鉄不足に悩まされていることは知っておるな?」
「ああ。もちろんさ」
 この霧の大陸では短期間で幾度も戦争が起こり、武器のために使われただけでなく、戦争によって壊された町の復興にも多くの鉄が使われていた。以前から霧の大陸にある鉄の事は問題になっていたのだ。鉄が採れないため、フォッシル・ルーと呼ばれる霧の大陸よりも凶暴な魔物が現れる鉱脈地に手を伸ばす者たちも増えてきたほどだ。
「鉄は現在も将来的にも必要な資源じゃ。その不足を補うために、リンドブルムでは三ヶ月ほど前から忘れ去られた大陸へ開拓団を三度派遣してきた。しかし、そのどれもが凶暴な魔物に行く手を阻まれて失敗しておる」
 単純計算でいくと、一つの開拓団で一ヶ月しか持っていないことになる。
「鉄は欲しいが国を守ることも必要じゃ。特に今は他の二国との友好関係を築く事も必須事項じゃ。そうなると、常時警備兵だけでなく使節の護衛などにも兵を割く必要がある。復興作業のためにも多くの兵が必要じゃ。――今、リンドブルムは兵不足と言ってもいい。民間からの志願兵も出ておるが、この者たちには経験がない。しかも意地の悪いことに、貴族の中には私有地の復興や己の護衛のために兵をよこせと言う輩もおる」
 シドは最後のところを心底苦々しそうな表情で言った。
「そうなると開拓団にあまり良い人材を割けんのじゃ。まして、開拓団には鉱物に関して深い知識を持った非戦闘員も混ざっておる。その者たちを守りながら鉱脈を探すことは至難の業じゃ。すでに派遣された兵の中には死者も多くおる。そんな状況で、さらなる派遣は得策ではないと言う者も出てきておる。じゃがこのままでは後になって必ず、更に深刻な鉄不足で悩まされることになるじゃろう」
 そこでじゃ、と言ってシドは続ける。
「十五日後、最後の開拓団が派遣される。構成は二小隊八十人、それと鉱物学者五人。そして、それらを率いる小隊長二人じゃ。すでに学者も決まっておるし、小隊も組んである」
「なんだよ、その隊に入れてくれるんじゃないのかよ」
「だからワシは『運がいい』と言ったのじゃ」
 さらに不敵な笑みを深めるシドに、ジタン再び首を傾げた。
「小隊長が一人辞退しおってな」
「おっさん、まさか……」
「ジタン、おぬしを空いた小隊長の席に座らせてやろう」
 ジタンが口を開かないでいると、シドは一転、心配の色を漂わせた。
「良い人材を失いたくないからと、小隊に組み込まれたのは経験の少ない兵ばかりじゃ。その上、ヒルダガルデ4号機の開発が難航しておって、すぐに出せる飛空艇は今のところ1号機と3号機だけじゃ。性能は抜群じゃが、どちらも霧の大陸を飛び回っていて、忘れ去られた大陸まで飛ばすことは滅多にないじゃろう。そうなると、開拓団は長期間に亘って未知の大陸に放り出されることになる。流石のおぬしも辛い境遇に――」
「オレにとっては未知じゃないさ」
 シドの言葉を遮ったジタンの声は自信に満ちていた。
 ジタンは忘れ去られた大陸へ何度も行ったことがあるし、そこの地理にも生息している魔物の特性にも通じている。ジタンにとっては、その大陸はすでに拓かれた土地だ。
「行くか?」
「当り前さ」
 そう答える姿は、数日前まで長い眠りに就いていたとは思えないほどの活気とやる気に満ちている。
「一兵卒から始める覚悟はしてたけど、それじゃ時間が掛かり過ぎるだろ。せっかくフライングを許されたんだ。お言葉に甘えない手はないさ」
「いいのか? もう一人の小隊長はかなりの曲者という評判じゃぞ? 小隊長を辞退した男は、表向きはアレクサンドリアの襲撃を受けたときの傷が悪化したためと言っておるが、実際はもう一人の小隊長が嫌で辞めたと聞く」
「受けて立ってやろうじゃないか。こちとら将来は、腹に一物抱えたアレクサンドリアの貴族たちを相手にしようと思ってるんだ。小隊長一人くらい相手にするまでもないね」
 ジタンは不敵に笑って言い放った。





 二人はただ愛する者のために、心を許している者のために、自らの人生の一部を懸けていた。そこに回りくどい計算など微塵も存在しない。
 この三十分にも満たない会話で一つの国の運命が、否、一つの大陸の運命が左右されることを二人は微塵も考えていない。





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2007.11.22
last-alteration 2011.01.31