小さく軋む音を立てながら大きな扉が開いた。最初ゆっくり開いたと思ったら突然勢いよく開き、両手に麻袋を抱えたブランクが扉が閉まる間に滑り込んできた。どうやら扉を蹴り開けたようだ。
「食料調達してきたぞ」
「ご苦労さまっス。でも、行儀悪いっスよ」
 ジタンとクジャのベッドの間に座って様子を見ているマーカスの言葉を無視し、ブランクは近場のテーブルに乱暴に荷物を置く。
「何か変化あったか?」
 マーカスはゆるゆると首を振る。
「ないっス」
「もう十日だぞ」
「ミコトさんは『ジェノムは生命維持装置に繋がれていると自力で活動できるまでは意識を浮上させないから、その名残が覚醒を先延ばしにしているんじゃないか』って言ってるっス」
「じゃあ、生命維持装置を外せばいいじゃねぇか」
「装置を外して悪化する可能性もあるらしいッスから、そのリスクを犯すより気長に待った方がいいそうっス」
 ブランクは太い丸柱に寄りかかりながら眠りについている二人を見た。
 ジタンもクジャも昏々と眠り続けている。顔色は決して良くはないが、状態はずっと安定していた。だがやはり、やつれて見える。二人とも、ここに運ばれてきたときよりも頬が削げてきたようだ。
(……まあ、仕方ないか)
 当然のことだが、意識のない二人は食事をとることはできない。二人はずっと点滴で栄養を摂取していた。それは外側の大陸の東に広がるキエラ砂漠の地下にある宮殿に揃えられていた文献と、イーファの樹の近くに墜落していたテラの飛空艇インビンシブルに保存されていた薬品をもとに作った栄養剤で、ミコト曰く、この栄養剤を与え続けていれば食事の必要はないらしい。
「ミコトは、また村に戻って研究しているのか?」
「そうっス。今日はとりあえず、ここにあった必要な文献を移動するだけらしいっスから、もう少ししたら帰ってくると思うんスけど……」
 ミコトは今二人のジェノムの世話に加えて新生黒魔道士の研究も行っている。ちらりと聞いただけだが、ビビがその研究を完成させてほしいと直接ミコトに頼み込んだそうだ。
 ブランクはボスのバクーから伝い聞いただけなのだが、黒魔道士には限られた命しかないらしい。人間の命も限られたものではあるが、黒魔道士は一年前後で動かなくなるように『設定』されているそうだ。ジタンたちが戦いの中で黒魔道士の素である霧の発生を止めた今、黒魔道士が再び作られることはないだろう。黒魔道士の村にいる黒魔道士も、一年後には全員いなくなっているはずだ。
 自分たちの死が目の前にありありと横たわって見える彼らにとって、人間と同じだけの長い寿命を持った新生黒魔道士は希望そのものなのだ。
 ミコトも、ビビと彼と心を同じ<くしている黒魔道士たちの願いを叶えるつもりなのだろう。こちらで機材の設定や簡単な処置を終えると、黒魔道士の村へ急いで帰っていった。
「それにしても、ジタンもクジャもビビのことも抱えてミコトも大変だな。つっても、ここには俺たちがいるし、向こうではサラマンダーが協力してくれているんだろう?」
「……そうっス」
「気になるんだな?」
 憮然とした顔で答えるマーカスに、ブランクは意地悪な笑みを浮かべた。
「な、何がっスか!?」
「ククク、何がだろうなぁ」
 慌てているマーカスをブランクがからかっていると、戸口からコトリと物音がした。二人が振り返ると、視線の先にはミコトが立っている。
 ブランクの予想通り、ミコトは表情の変化が全くない顔にわずかに疲れた様子を浮かべていた。
「ミコトさん、おかえりなさい」
「二人の容体は?」
「大丈夫っスよ。何ともな――」
 ガタリと大きな音が響いた。
 扉にぶつかって大きく音を立てた置物には見向きもせず、ミコトは機械のモニターにかじりつく。
「ミコトさん!?」
「ミコト!?」
 そんなに慌てたミコトを初めて見たマーカスもブランクも、彼女に駆け寄る。
「どうしたんスか!?」
「今、ジタンの数値が急に乱れたの」
 マーカスはベッドを振り返った。
 先ほどまで何ともなく、クジャにも変化はみられなかったが、ジタンはわずかに眉間に皺を寄せている。急いで近くに駆け寄って見てみれば、薄っすらとだが汗を浮かべている。脈は今までと比べ物にならないくらい速い。呼吸も浅くて弱いが、とても速かった。
「ミコトさん、脈も呼吸も異常っス! とても速いっス!」
 ミコトはクジャの様子をざっと見ると、ジタンを挟んでマーカスの反対側に立った。ブランクは操作盤に張り付いたままだ。
「マーカス、そこのモニターで波形をチェックして」
「わかったっス!」
「ブランク、そこの操作盤で赤色の数値を下げて」
「これか!?」
「ええ。五十三にしてちょうだい」
「ミコトさん、波形が乱れ始めました!」
「おい、こっちも数値が滅茶苦茶に変動し始めたぞ!」
 生命維持装置の警報が部屋に鳴り響く。その音は、宮殿中に響き渡って反響しているのではと錯覚するほど、三人の耳についた。
 ジタンの身体が大きく痙攣を起こし始める。
 数値は止まることなく上昇と下降を繰り返す。
 波形は不規則なリズムで踊り狂う。
 ジタンは苦悶の表情を浮かべている。





 数時間後。
 三人が必死に処置を行って、ジタンの状態は安定した。痙攣も収まり呼吸も穏やかになった。ただ、熱が下がらない。
 操作盤の前に座っているブランクも、ずっとジタンの横に付いているミコトも、二人のためにコーヒーを淹れてきたマーカスも、憔悴の色が濃い。
「ミコトさん、何とかなりそうっスか?」
「判らないわ。ジタンはジェノムの中でも特殊だから、処置が本当に適切かどうか……」
「はん、コイツは多少間違った処置をしてもくたばらねぇよ」
 無表情ながらも不安な気持ちを浮かべたミコトの言葉を鼻で笑うと、ブランクは立ち上がってジタンに近づく。
「お前にとっちゃ旧式かもしれんがな、後ろで見守ってるだけってのは俺の性に合わないからな。それに、これくらい安定したら旧式の治療でも大丈夫だろ」
「お好きにどうぞ。私もガイアの医療に興味があるわ」
 ミコトが立ち上がって席を譲ると、彼女の言葉にニッと笑い、ブランクはベッドの下から医療キットを取り出す。
「マーカス、手伝え。診察するぞ」
「わかったっス」
 ジタンの意識は、まだ戻っていない。





 相変わらず、その部屋の空気には静かな焦燥が満ちていた。
 三人の看病の甲斐なく、ジタンの容体に全く変化はなかった。
「ジタンさん、もう五日間も高熱が続いてるっスよ」
 呟いたマーカスの声に力は無い。
「……おそらく、今夜が峠でしょうね」
 返すミコトの声には、更に力が無かった。
「マーカス、今夜は忙しくなりそうだ。早めに食料調達してこい」
「わかったっス!」
 ブランクは機材や医療キットを片づけている。平気な振りをしているが、いつものジタンに対する皮肉の言葉も出てこないし、時折こめかみを揉む姿には疲れが滲み出ていた。
「ミコトさん。ミコトさんはジタンさんと研究に付きっきりなんスから、今の内に身体を休めておくっス」
「でも――」
「マーカスの言う通りだ。この機械の山はお前にしか使えないんだろ? だったら、万全の体調で今夜に臨んでもらわないとな。こいつらは俺らが看ている」
「わかったわ」
 ゆっくりと部屋を出たミコトは長い回廊を進む。
 隠れ家であるここにはクジャが調べ、盗み出したテラやジェノムの情報が沢山詰まっている。それらや自分の身を守るために、地下宮殿には罠やカラクリがいっぱいある。今はそれらも解除されてはいるが、複雑な造りの回廊は直しようがなかった。曲線を描いて交錯しあう回廊や至る所に配されている銅像は芸術的ではあるが、ミコトにとっては無駄で邪魔なものでしかなかった。
 ミコトは長いそこを進んで一つの部屋に入り、ゆっくりとベッドの中に倒れこんだ。
 彼女は自分に物理的休息が必要だと思っていなかった。育成環境にもよるが、ジェノムに睡眠は必要ない。先ほどマーカスとブランクに言われて眠ると言ったのは、二人に心配をかけないためだ。
(心配をかけないため、か……)
 心配など、今までの彼女には決して理解できなかったものだった。
 それを気にして必要のない睡眠をとる振りまでしようとは、自分もずいぶん変わったものだとミコトは呆れた。
(でも、それは、わざわざ説得してまで二人に反対することが面倒臭かったから……)
 ミコトは理由をつけて自分の行動を自分に納得させた。
 そんな事をしたのは眠気が彼女を襲ってきたからだ。睡眠を必要としないはずのジェノムが眠くなるはずはない、と一所懸命に眠気を振り払っていたからだ。
 人間らしくなってくる自分に不安と怖れを抱き、抗っていた彼女は気付かなかった。『面倒臭い』という感情や『納得』というプロセス、『一所懸命』という姿勢こそが、ジェノムらしくなく、とても人間臭いものだということに。





BACK    MENU    NEXT


2007.09.30
last-alteration 2011.08.26