早春の朝。
工場やドックが至る所に立ち並ぶリンドブルムでは当たり前に漂っている蒸気と、それに紛れるようにして薄っすらと漂う朝靄を透かして届いた柔らかな日差しは、日毎に暖かさを増している。しかし、朝の空気はまだまだ冷たい。
リンドブルム城だけでなく城下町をもまとめて包み込むように建てられた城壁の上を越えてタンタラスのアジトにまで日差しが届いたとき、そのアジトの中から一人の背の低い男が出てきた。
シナという名のヒゲを蓄えたその男は、大きく伸びをしながら少しだけ湿り気のある空気を胸一杯に吸い込んだ。手入れをしたばかりの顔が空気に触れて少し冷える。
一気に吸い込んだせいでむず痒くなった鼻を擦りながら、彼は愛用トンカチを握り締めた手と反対の手を出入口の脇に据え付けてあるポストの中に突っ込んだ。引っ掴んで取り出した何通かの手紙一つひとつにざっと目を通す。ほとんどが請求書や通知書、宣伝のチラシなどで、私信は一通も無かった。
しかし、一番下にあった一通には差出人の名前が見当たらない。不思議に思ったシナがその手紙をひっくり返して見てみると、やはりそちら側にも差出人の名前は無かったが、中央部に大きく緑青色の封蝋が施されていた。
押されている封印のシンボルは、一振りの剣を背負った翼の生えているハート。
それを見るなり、シナは声を張り上げながらアジトに駆け戻って行った。
「ボス! ボス! ブランクから手紙が来たずら!」
アジトの中に響いた彼の大きな声は、奥の方にある部屋で遊んでいた十歳足らずの男の子と女の子の耳にも届いた。
「ブランク兄さんから?」
「ルシェラ、ボクたちも行こう!」
「うん!」
部屋を飛び出してシナの後に続いて行った二人は、数か月前にあったアレクサンドリアのブラネ女王によるリンドブルム襲撃時に二親ともを亡くしてしまった子で、二人のタンタラスに入りたいという願いを聞き入れてバクーが引き取った子供たちだ。
一方、バクーは一番奥にある部屋で子供たちのためにオモチャを作っていたが、シナの声に淀みなく動かしていた手をとめた。
「ヘェェブション!! ああ、どうしたって?」
「ブランクから手紙が来たずら!」
「なんだ、思ったよりも早かったな」
シナから手紙を受け取ると、バクーは戸口に目を遣った。そこでは二人の子供が窺うような期待を込めたような瞳をしながら仲良く並んでバクーたちを見上げている。
バクーはにかりと笑うと手招きをして、二人に手元の手紙を見せた。
「おいバンス、ルシェラ、ようく覚えとけ。もし、このマークの緑青色の蝋で封がされている手紙が来たら、絶対に俺に渡すんだ。俺がいなくて当分帰ってきそうになかったら、その場にいる一番の先輩に渡すんだ。いいな?」
「うん、わかったよ!」
「ボス、そういう手紙はどんな手紙なの? これは、ブランク兄さんからの手紙なんでしょう?」
二人の頭の上にぽんと手を置き、やはりにかりと笑いながら、
「秘密の手紙だ」
こっそり囁くように言うと、バクーは丁寧に蝋封を開けて中の便箋を取り出し、それを傍らに置いた。
「ボス、手紙に書いてあるのは読まないの?」
バクーは便箋に見向きもせずに封筒だけを持っている。
「それは暗号文だ。頑張って解読しても、俺の武勇伝が書いてあるだけだ」
封筒の中にはたった一枚の便箋しかなかった。バンスとルシェラが開いたその便箋には、複雑な形をした記号が長々と書き綴ってある。
「その暗号文、いずれお前たちにも覚えてもらうからな」
「えぇ〜」
「めんどくさ〜い」
「だぁぁ〜、文句言うんじゃねぇ!」
見掛けに似合わず繊細な手付きでナイフを操りながら大声で怒鳴ると、バクーは封筒の両脇に刃を入れて一枚の長い紙切れにし、ポーチから小さな香水瓶を取り出した。
太い腹から発される怒鳴り声は迫力があるのだが、バクーの声が大きいのも怒鳴るのもいつものことなので子供たちの意識は見たことの無い瓶に向けられる。
「ボス、その液は何なの?」
「これはブランク特製の炙り出し液だ。これを手紙に吹きかけて、余分な液をざっと乾かしてから軽く火で炙ると……」
まだ朝晩は肌寒く感じる時期だ。今日も小さくではあるが暖炉には火が焚かれていた。
バクーがその火に紙をかざして炙ると、だんだんと紙に青い文字が浮き出てきた。
「うわぁ、すご〜い!」
「さあ、こっから先はお前たちにはまだ早い! 向こうで勉強の続きしとけ!」
「はぁ〜い」
バンスもルシェラもタンタラスの裏の仕事には触れていない。首を突っ込もうとすると、その場にいる団員の全てが真剣な顔をして仲間外れにしてくるので、このように部屋を追い出されることにも慣れていた。逆に、今日のように秘密の手紙を遣り取りする方法を一部でも教えてくれるのはとても珍しいことだったので、部屋を出て行こうとする子供たちは二人とも上機嫌に満面の笑みを浮かべていた。
その二人をバクーが呼び止める。
「バンス、ルシェラ。お前たちは俺が認めたタンタラスの一員だ」
「うん!」
「だったら、タンタラス団の掟は守れるな?」
数多くあるタンタラス団の掟をバンスもルシェラも少しずつだが覚えさせられてきた。だが漠然と『掟』とだけ言われてどの掟を指すのか判るほど、大きくもなければ在籍期間も長くない。
二人揃って大きな目に疑問を浮かべながら首を傾げる。
「――秘密は死んでも守れ」
バクーが低く放った言葉に二人は緩んだ顔を引き締める。そしてタンタラス団特有のポーズを決めると、嬉しそうに笑いながら部屋を出て行った。
ぱたぱたとした軽い足音と喉元をくすぐるような笑い声が遠ざかっていくのを確認すると、バクーは炙り出した手紙に視線を落とす。
「ボス、ブランクは何て言ってるずら?」
「『ジタン、クジャ、共に存命。状態悪く予断許さず。<外側>の東、クジャの隠れ家にて治療を続行するも両者意識戻らず。ミコトなるジェノム、両者の発見は内密にすべきと判断』だとさ」
そう言うとバクーはシナに手紙を渡した。
シナも一応の確認のために手紙に目を通した。読み終えたシナの眉間には皺が深く寄っている。
「内密って……どういうことずら?」
「助かるかどうか怪しいから仲間には知らせるな、ってぇところだろ」
「でも、みんなジタンのこと心配して――」
「死ぬかもしれない不安を抱えさせるより、生きてるかもしれない希望を持たせた方がいいってことだ」
「ボス……」
「ヘェェブション!!」
バクーは盛大にクシャミを一つすると、鼻を擦りながらのっそりと立ち上がった。
「俺はシドにこの事を知らせてくる」
「大公だけには、知らせていいずら?」
「あいつが事情を知っていねぇと、こっちも動き辛ぇだろうからな。どうせアイツのことだから、かみさんにもバレるだろうが、ヒルダはシドと違って口は堅ぇからな。知られても、あの夫婦とオルベルタまでだろう。その三人だけなら、かえって俺らには好都合だ」
「……わかったずら」
「それと、ジタンの意識が戻ったら後の方針はテメェで決めさせろ。それまでは、ジタンに無断で仲間に知らせるんじゃねぇぞ。無断で知らせていいのは――あいつが助からなかったときだけだ」
険しい顔つきはそのままに、シナはポーズを決めてバクーを見送る。
「手紙、ちゃんと燃やしとけよ」
バクーはそれだけ言うと部屋を出て行った。
結局一度も振り返らなかったバクーの表情は、シナからは見えなかった。
BACK
MENU
NEXT