黒魔道士の村には、蔓延る自然に埋もれるようにして小さな家が立ち並んでいる。その建物はどれもが黒魔道士をモチーフにしていて、二つの丸窓とその下に笑った口を模った変形窓が決まって付けられていた。深い森の奥、木漏れ日の中に黒魔道士のにっこりと笑う顔が並ぶ風景には見る者の心をほっこりとさせる愛らしさが満ちている。
黒魔道士の村は、戦場から逃れてきた黒魔道士が森の奥深くで忘れ去られてしまった小さな古井戸を見つけ、そこを中心に同じ境遇の仲間たちと協力して小屋を建てたところから始まった。
黒魔道士は本来、戦争のためだけに造られた感情を持たない人形型の兵器だ。しかし、理由こそ分からないが、何らかのきっかけで自我に目覚めた黒魔道士兵は少なくなかった。そして、自分の運命を変えるために辺境の地である黒魔道士の村へ隠れ住んだものもまた、少なくなかった。
彼らは近くにあるコンデヤ・パタというドワーフの集落と交易を持ち、ひっそりと穏やかに土地に根付いていた。
つい先頃、そこへ未知の世界であるテラの崩壊から逃げ延びたジェノムたちが移住してきた。彼らはジタンと同じ種族で――そのことは、ジタンですら最近知ったばかりなのだが――、ジタンたちの戦いに巻き込まれ、寄る辺を失ったところを黒魔道士の村へ引き取られた。このジェノムという者たちには一部の特殊な者を除いて皆、感情が無い。少し前まで感情というものを理解できなかった黒魔道士とは、なかなか良い関係を築き上げていっているようだ。
そんな二種族の住人がいる黒魔道士の村に現在、世界を懸けた戦いから帰って来た者たちが滞在していた。しかし、その彼らも今日、それぞれの居場所へと帰る。
「ダガー、もうそろそろ出航の時間だけど準備できた?」
小屋の戸口から幼い声が響く。声は一つだったが、戸口から差し込む柔らかい日差しを遮って部屋の中に伸びた小さな影は二つだった。
部屋の中央に据えられているテーブルに座ってどことはなしに虚空を見つめていた少女がゆっくりと振り返った。さらりと肩の上で漆黒の髪が揺れ、髪と同じ漆黒の瞳が戸口へ向けられる。純白の肌に赤みは無く、少し青白くなった肌に唇の紅さがいっそう際立って見えた。
「うん」
ダガーと呼ばれたその少女は戸口に並んで立つ二人に笑いかけ、穏やかに頷きながら立ち上がった。二人の子供は心配げな表情でその弱々しい笑顔を見上げているのだが、返事をするなり視線を遠くに外してしまったダガーは彼らの様子に気付いていない。
「お姉ちゃん。ボクも村のみんなも準備が整い次第イーファの樹へ探しに行くよ。タンタラスのみんなも協力してくれるっていうんだ。だからお姉ちゃんは、お姉ちゃんにしかできないことを頑張ってよ」
青いローブを身にまとい大きな継ぎはぎのあるとんがり帽子を被った男の子が、横に並んだダガーを元気づけるように声をかける。
それに続いて、スミレ色の髪から白い一角を覗かせた女の子が元気な声で言う。
「そうよ! エーコもマダイン・サリとこの村を往復しながら頑張るんだから!」
「ありがとう」
ダガーは笑みを深めると、先導するように歩き始めた二人に続いて小屋を出て行った。
外側の大陸は、起伏の激しい丘陵や険峻な山脈や複雑な形状の海岸線などに富む、ひたすら乾燥地帯が広がる大陸だ。そのほぼ中央にドナ大平野という、この大陸にしては珍しく青々とした草地が点在する平原があり、ドナ大平原の南の崖下にマグダレンという、とても深い森がある。その森の奥の奥、フクロウの住む森のフクロウすら住まないほどの奥深くに黒魔道士の村はあった。
村人たちとの挨拶を終えたダガーを連れて、ビビとエーコは村を出てまっすぐ森を抜けて行った。道中には魔物に遭遇することもあったが、彼らが旅を進めていく過程で霧が消えたので魔物の凶暴性はぐっと下がっていて、過酷な旅を続けてきた三人には危険が無いと言って良い道のりだった。
森を抜けてすぐの平地には、ヒルダガルデ3号機とレッドローズが停泊している。飛空艇の周りには忙しそうに走り回る船員が多くいるが、ヒルダガルデの前には人影が二つあった。一人はリンドブルム大公シド・ファブール。鼻の下に左右に跳ね上がった特徴的なヒゲをたくわえた銀髪の男で、身に纏う豪華な衣装も助けにはなっていることを差し引いても立っているだけで見る者に威厳を感じさせるところは、流石は一国の主といったところか。もう一人は竜騎士フライヤ・クレセント。ブルメシアを飛び出して旅を続ける中でジタンたちと出会って仲間になった女性で、女だてらに槍を携えて前線を駆けまわった彼女は凛々しい雰囲気を醸しており、竜騎士の平服を着た姿はシドと並んで立っていても遜色がない。
森から出てきた三人を待ち構えるように立つ二人を認めて歩み寄ってきたダガーに、シドが話しかけた。
「ガーネット、皆それぞれの飛空挺に乗っておるぞ。アレクサンドリアにはクイナとサラマンダーも行くそうじゃ。フライヤはリンドブルムで同胞を集めてからブルメシアへ戻るようじゃから、ヒルダガルデに乗せていくぞ」
「わかりました」
「ダガー、いろいろ大変だろうが、皆ダガーのことを応援しておるぞ。もちろん私もじゃ」
「ありがとう。フライヤも復興活動がんばってね。私も、できる限りのことはするから……」
できる限りと言っても、今のアレクサンドリアにどれだけのことができるのか。そう思って言葉が尻すぼみになっていったダガーの肩をフライヤが優しく叩いた。
ブルメシア人特徴に違わず長身であるフライヤをダガーは見上げる。
数瞬の間、沈黙の中で視線を交わすとフライヤは満足気な微笑を残して高く跳躍し、ヒルダガルデの甲板へ姿を消した。
フライヤと入れ替わるように、今度はレッドローズの影から騒々しい金属音を響かせながらスタイナーが走ってきた。
ダガーのすぐ傍まで近づいた彼が、ぴしりと敬礼をした。その動きに合わせて、駄目押しのように鎧がガシャリと鳴った。
「姫さま、レッドローズの発進準備が整いました!」
彼の言葉通り、レッドローズの周りを駆け回っていた船員たちの影はほとんどない。ヒルダガルデの方は先に準備が整ったようで、すでに船員たちの姿は消えていた。
ダガーと同じくシドもそれを見てとったようだ。
「……『ガーネット王女』と会うのも、これが最後じゃな」
「おじ様……」
「ガーネット、立派な女王になるのじゃよ」
「はい」
「スタイナー」
「はっ!」
突然名を呼んだシドに、スタイナーは鎧を再び大きく響かせながら敬礼をする。
「ガーネットを頼んだぞ」
「全身全霊を尽くしてお守りする所存にございます!」
「うむ。――ではガーネット、おぬしの即位式でまた会おう」
「はい。また即位式で」
微笑むダガーを見て深くゆっくりと頷くと、シドは深紅のマントを大きく翻してヒルダガルデへ乗り込んだ。
その後、急かされたように慌ただしくビビとエーコと別れの挨拶を交わすと、ダガーはスタイナーを連れてレッドローズに乗り込んだ。
二隻の飛空艇が高度を上げながらゆっくりと進みだす。
クイナとサラマンダーの二人は既にビビとエーコに別れの挨拶をしていたらしいが、クイナは名残惜しいようでダガーの隣に並んで一緒にビビとエーコに手を振っていた。スタイナーはダガーの後ろで直立不動を保っている。サラマンダーは甲板の壁に腕を組んでもたれていたが、それが彼等らしい別れの形と言えた。
飛空艇が加速度的に高度を上げてマグダレンの森から遠ざかっていくにつれ、手を振るビビとエーコの小さな姿が更に小さくなっていく。そうして少しもしないうちに、乾いた大地の風景に紛れていった。
「なんだか、船がユラユラ揺れているアルよ〜」
しばらく飛行を続けていると、気の抜けるような声でクイナが訴えた。
外側の大陸と霧の大陸では著しく気候が違う。同じように、それぞれの大陸を掠めるようにして流れる海流も著しく性質を異にする。そのため、その境目では特殊な気流が発生して上空は不安定だった。
飛空艇にとってはあまり嬉しくない空域に入るということは、霧の大陸が近いという証だ。自然、アレクサンドリアとリンドブルムという霧の大陸でも遠くに位置する二国へ向かうレッドローズとヒルダガルデの航路は離れていくことになる。
それまで並行していたヒルダガルデともだんだん距離を開けてきたとき、空をも引き裂くのではないかと感じるほどの爆音が辺りに響き渡った。
甲板に緊張が走る。
今までの旅で身に付けた習慣で、レッドローズの甲板にいた四人はすぐに自分の武器を手に取った。視界の端で、ヒルダガルデのコックピットにいるフライヤも武器を握っているのがわかった。
音源は北西。そちらを見遣ると、イーファの樹が高く砂埃を上げながらガラガラと崩れていくところが遠目に見えた。
「スタイナー、直ちに進路を北西へ!」
「はっ!」
その光景を見たダガーは半ば叫ぶように指示を出した。指示を受けてスタイナーが操縦室へ駆けだす。
しかし、それを押し留めるように甲板に声が響いた。
「ガーネット様、ヒルダガルデよりの通信です」
「回線を開いてください!」
微かな雑音に続いて、落ち着いたシドの声が響く。
「ガーネット、イーファの樹に行ってはならぬぞ。残存の霧はほとんど無い。レッドローズには、もしものために収集して保存されている霧があるが、それにも限りがある。今イーファの樹に行けば、レッドローズは乗り捨てることになるぞ」
「でもおじ様、今の爆発は――」
「バクーに頼んで、本格的な捜索に先行してタンタラスの数人を樹へ向かわせておる。その者たちに任せるのじゃ」
タンタラスはバクーという男が結成した、シドの陰の面での手足となる盗賊団のことだ。彼らにはダガーも何度も世話になっている。アレクサンドリアでやらなければならないことが山ほどあるダガーよりも、彼らの方がずっと適任だろう。なにより、ジタンもタンタラス団の一員だった。
「……わかりました」
自分が異論を唱えることができるような立場ではないと承知してはいたが、シドに返したダガーの声は掠れていた。
未練を残したようにダガーは北西を見た。
ぶつりと回線が切れた音が甲板に響いた。
イーファの樹は砂煙に隠れ、今は見えない。
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