絶えず、ぱらぱらと小石の転がり落ちる音がしていた。
 突如イーファの樹を襲った爆発は、爆発の位置が表層に近く爆発の方向が外側のみに限られていたおかげで大した被害にはならなかった。だが、樹が石化していたために、その粉塵と破壊音は凄絶なものであった。爆発からだいぶ時間が経っても、爆発地点の近くでは小さな崩落が続いている。樹の枝先は爆発の衝撃を受けて少しずつ崩れていっており、抉れた幹は上から落ちた岩のせいで亀裂が深く広くなっていく。落ちてきたものが砂と言えるほどに小さな物でも、転がるうちに砂が石を呼び、石が岩を呼び、根元で更なる大きな崩落を招く原因となっていた。
 そんな中を、ジタンは覚束ない足取りで下っていた。半ば滑っていくような状況で、背中にはクジャを背負っている。
「つくづく……僕は、醜いよう……だね。全ての……生命力を……注ぎ込んだつもりが、まだ……生き永らえ……ている」
 クジャは嘲笑を乗せた声で言った。その声は途切れ途切れで小さい。耳元で話されているはずの言葉が、ジタンにはとても遠く聞こえた。
「そんなこと……言ってる……体力がある……なら、しっかり……捕まっていろよ」
 こちらも途切れ途切れに返すジタンの声も、クジャには遠く聞こえた。
 筋肉が硬直してしまったのか、クジャは笑みを顔に張り付けたままだ。
「ジタン、僕は置いて……行くんだ」
「言っても……無駄さ」
「フフッ……ありがとう」
 自分は大丈夫だとでも言うように、笑って返したジタンの耳に届いたのは、力無い笑いと、感謝の言葉。そして、
≪でも、死体を運ぶのは嫌だろう?≫
 鼓膜を震わせるのではなく、直接脳に言葉が響いた。
「クジャ!?」
 返事はなく、呼吸を確認したくても周囲の石の音が邪魔をする。クジャが顔を外側に向けているせいで、ジタンは彼の表情も確認できなかった。その上、クジャの身体が重みを増したような感じがした。
「くそっ」
(あと少しだ。あと少しでモーグリの笛が響く場所に出る)
 クジャを下して状態を確認することもできない。身体を安定できる場所がないのもそうなのだが、なにより、彼を下して再び担ぎあげるだけの体力がジタンには残されていなかった。
 今はイーファの樹から出ることが先決だ。モーグリにテントを張ってもらえれば急場凌ぎにはなるだろう。
 ひたすら出口へ出口へと念じるように進んでいると、ジタンの目に見覚えのある岩が映った。遠くからでもわかる、ひょろりと高いそれは、イーファの樹の出口が近い所にあることを示している。
(よっしゃ、あそこを抜ければ……)
 知らず歩調が速くなったとき、ジタンの足元でごとりと石が不穏な音をたてた。
「うわっ!」
 足元にあった石が滑り出し、ジタンとジタンに担がれているクジャは勢いよく転げ落ちていく。他の石や岩も巻き添えにして転がる二人を追いかけるように、大きな音が辺りに響いた。


「いってぇ」
 転落が止まったのは、残りの幹を全て転げ落ちきってからだった。
(クジャは……?)
 寝転がったままじっとしているのに、視界は転覆寸前の船内にいるかのように平衡感覚を完全に失っている。それでも、クジャの位置を確かめようと眼を動かす。すると、すぐに右手の先で倒れているクジャを見つけた。ジタンは無意識のうちに必死に彼の服の端を掴んでいたようだ。
 外傷を確認しようとしたが、目の上を切ったのか、ジタンの右目は赤く濁った景色しか写さない。
(……テントを張ってからじゃないと、モンスターの餌になっちまう)
 半分が赤に染まり大きく揺れる視界の中、ジタンは懐に入れてあるモーグリの笛を取り出そうとする。うつ伏せになっている態勢では、懐を探る手を邪魔するのは自分の身体だ。けれど、地面との間に腕一本分の空間を作るだけのことが途轍もない重労働だった。
 そもそも特殊なこの笛は特定のエリア内にいるときはモーグリに届かないため、エリア外に出た憶えの無い今、笛を吹いたとしても何の助けにもならない可能性が高い。それでも、もしかしたらエリア外に転がり出ているかもしれない。エリア内に居たとしても、音が届くかもしれない。
 しかし、蜘蛛の糸よりも儚いほどの望みを絶つ影をジタンは見つけてしまった。
 遠く、細く空に伸びる岩の群れ――あれはイーファの樹の出口だ。やはり、ジタンたちはエリアから出られていない。――の向こうに緑色の影が揺れている。
「ト、ロール?」
 トロールというモンスターは、緑色の肌、人間の何倍もある体躯をしており、その体躯に見合う大槍を武器にとって生き物を襲う。膂力も体力もあり中級の氷系黒魔法まで使うのが厄介だが、動きが鈍いという欠点を突けば一撃で倒すことのできる程度の魔物だ。
 ただし、普段のジタンならば。今のジタンは戦うどころか立ち上がれるかも怪しい。
「……嘘だろ?」
 赤く揺れる視界の中では、緑色の影がどれだけ近付いたのかさえも分からない。
 ジタンにはトロールとの距離が遠く感じられた。意識も、遠く感じられた。




「おい、なんなんだコイツ!? モンスターじゃないのか!?」
 不機嫌な表情を浮かべてがなりたてているのは、全身に縫合跡が奔っている十六、七歳の少年。名をブランクという。本人はまったく頓着していないのか、惜しげも無く曝け出されている傷痕は人目を引いた。
 といっても、彼の周りに人は二人しかいない。
「知らないっス。でもレディーバグにしては毛色が違いますし敵意も感じないっスから、敵じゃないと思うっスよ」
 一人は下の犬歯が異様に発達した、やはり十代半ばの少年。名をマーカスという。剥き出しの肩から手の甲までに刺青が彫られていて、彼もやはり街中などでは人目を引くだろう。しかし、ここは街中ではない。
「あなたは私たちをどこへ案内するつもりなの?」
 もう一人は二人と同じ年頃か少し幼い金髪の少女。金色の尻尾が生えているところも目立つだろうが、整った顔に一分の表情も浮かべない彼女も街中でならば人目を引くことだろう。名をミコトという。
「だから、アノ人の所だよ。アイツを倒して、僕たちが隠れずに過ごせるようにしてくれたんだ」
 目立つ三人に囲まれる中、最も奇異な存在がいる。
 パタパタと羽ばたいて移動する巨大なテントウムシのような姿は、霧の大陸の草原地帯に出没するレディーバグという魔物にそっくりだ。しかしマーカスの言う通り、レディーバグとは毛色が違う。体格も目の前にいる生物の方が大きい。
 結局、正体の掴めないこの生物が、ブランクの言う『コイツ』だ。
「『アノ人の所』って、どこなんだ?」
「でも兄キ、なんかイーファの樹に向かってるみたいっスよ?」
 ジタンの捜索のために黒魔道士の村を出た三人は、森を抜けて少ししたところでこの不思議生物と出会った。自分について来いという彼――彼女かもしれない――を最初は無視していたのだが、人命が懸かっているということを仄めかしだしたことでマーカスが彼に付いて行くと言ってしまった。
 マーカスの言葉に、不思議生物に付いてきた三人は今までの道のりを振り返る。それは黒魔道士の村からイーファの樹までの道のりと全く違わなかった。今は山道を抜けてプアレ大平野を南西へずいぶん進んだところだ。
「おい、もしかして『アノ人』ってジタンのことか!?」
「僕ら、アノ人の名前知らないんだ。でもアノ人たち僕らに宝石わけてくれたし、アイツを倒してくれたんだ」
「『アイツ』? 宝石?」
「キミもゴーストさんに原石くれたよね」
 単語を並べて聞き返すブランクから視線を放し、不思議生物は円らな瞳でマーカスをまっすぐ見た。
「……! 兄キ、この子は精霊っスよ!」
「精霊だと?」
 精霊とは、同じ名前の魔物と大差ない姿をしながらも、穏やかで気楽な性格をした存在のことだ。出会えば幸運をもたらすと言われるが、出会う確率はとても低いと言われ、実際に会った者の話は滅多に聞かれず、聞けたとしても眉唾物ばかりだ。あまりの信憑性の無さに、旅人の間で広まった作り話としてしか知られていない。
 目の前に居るのが本当に精霊なのかとブランクが眉間に皺を寄せたとき、不思議生物――マーカスの考えが正しいのなら、レディーバグという名のはずだ――が大声をあげて飛行速度を上げた。
「アノ人が見えてきたよ!」
「あっ、ちょっと待ちやがれ!」
 ブランクは二人を置いてレディーバグを追いかける。
「ミコトさん大丈夫っスか?」
「これぐらいの走行はなんてことないわ」
 ブランクと同じくタンタラス団でさんざん身体を鍛えられてきたマーカスは彼の速さに付いていけるが、隣を行く少女はわからない。そう思い、マーカスはミコトに声をかける。両目までバンダナに隠された顔では表情が分かりにくいが、彼の声には気遣いの色がありありと現れている。
 それに対して、ミコトは無表情のままでそっけない言葉を返した。
 一方、二人の先を走るブランクはレディーバグが指し示す先、イーファの樹の根元に、目にも鮮やかな緑色を認めた。
「あの緑色の物体は何だ?」
「ニンフさんがモンスターから守ってくれているんだよ」
(あれも精霊かよ……)
 ニンフもレディーバグと同じく霧の大陸に出没する魔物の一種である。しかし、肌の色が違う。魔物のニンフの肌の色は視線の先にあるような緑ではなく群青色だ。
 重ねての精霊の登場にブランクは顔をしかめる。彼もマーカスと似てベルトで額から両目にかけてを覆っていたが、今にも舌打ちしそうな口元が隠れた表情の代弁をしていた。
「兄キ、あれは……!」
 いつの間にかブランクと並走しているマーカスの声に、ブランクはニンフの足元を見た。
 そこには、横たわる二つの影。
「ジタン!」
 ブランクとマーカスは更に足を速めて影に駆け寄る。
「ジタンさん! しっかりしてください、ジタンさん!」
「マーカス、お前はジタンをやれ! とりあえず有りったけのポーション飲ませろ! 傷口には直接かけとけよ!」
「わかったっス!」
「――クジャ?」
「ボサッとしてないでお前も手伝え!」
「どうしたんスか、ミコトさん?」
 二人が応急手当てを進める中、ミコトはじっと立ったままクジャを見つめていた。そして、突然口を開く。
「この大陸の東にある砂漠にクジャの隠れ家があるらしいわ。そこに行きましょう」
「なに馬鹿なこと言ってんだ! 運ぶこと考えたら、マダイン・サリかコンデヤ・パタに行った方が良いに決まってるだろう!」
 イーファの樹は外側の大陸の西に位置している。東西に長いこの大陸の東側というと、マダイン・サリやコンデヤ・パタの三倍近くの距離を進まなくてはならない。
 ブランクの考えは正論と思われた。しかし、マーカスはじっとミコトを見つめながら静かに呟く。
「……兄キ、ミコトさんの言うとおりにしましょう」
「マーカス!」
 ブランクが彼に幾ばくかの驚きを含んだ鋭い視線をおくった瞬間、能天気ともいえるほど明るい声が響いた。
「この二人なら私たちが運ぶよ!」
「イエティさんも呼んだから大丈夫!」
 イエティもやはり霧の大陸に出没するモンスターの一種だが、話の流れから察するに精霊なのだろう。
 精霊たちの協力がどれほどの後押しになったかは知れないが、「隠れ家にはジェノム専用の医療器具があるそうだから、あちらに運んだ方が賢明よ」というミコトの言葉に、ブランクは舌打ちを零しながらも賛成を示した。
 ブランクはいつになくイラついていた。ミコトはジタンやクジャと同じジェノムという種族だと聞いていたブランクは無意識のうちに、クジャが例外なだけでジェノムは皆ジタンのような者なのだと思っていたのかもしれない。だからミコトの表情の無い顔にイラつくのかもしれない。自分のペースが乱されっぱなしだからかもしれない。それとも、二人の救助に対する焦りだろうか。
 しかし、不機嫌な自分を感じながらもブランクはいろいろなことを考えていた。
 ミコトという少女の少女らしからぬ態度のこと。そのミコトと出会ってからマーカスの様子が少しだけおかしいこと。レディーバグの言っていた『アイツ』の正体のこと。ジタンの容体のこと。
 そして、ミコトの口調が伝聞のようであったことと、先ほど触れたクジャの体温が異常なまでに低かったこと。





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2007.08.19
last-alteration 2011.01.31