乾いた大地にそびえる巨木、イーファの樹と呼ばれるその場所の最奥。そこで眠りから覚めた一人の少年がいた。
身体を動かそうとした瞬間に全身に激痛が走り、少年は思わず呻き声を洩らす。びくりと揺れた身体に合わせて、蜂蜜色の髪が跳ねた。
「お目覚めかい?」
少年はどこかで聞いた覚えのある声を耳にしたが、覚醒しきれていない頭では声の主が思い出せない。
正体を確かめようと重い瞼を開けると緑色の光が少年の眼を突き刺した。
「大丈夫かい?――ジタン」
声と共に、少年の目の周りに柔らかな影ができる。光が弱くなったことでジタンと呼ばれた少年は蒼い双眸を露わにした。しかし力強い光に再び目を細める。暫くすると、人らしき影が見えてきた。
だんだん目が慣れていき、色づき始めた影は――
揺れる長い銀髪。
未だ、自分の目元にかざされている白い手。
「……クジャ?」
「何だい?」
「オレたち……」
脈拍に合わせて体中を巡る痛みを堪え、ジタンはゆっくりと身体を起こす。痛みに寄る眉を緑色の光の強さで誤魔化しながら半身を傍の壁に落ち着けて一息ついたところで、クジャが自分のすぐ隣りで太い柱に寄りかかっている事が分かった。二人を包んでいる強い緑色の光は、その柱から発せられているようだ。
ジタンは未だ気だるい頭で、記憶の糸をたぐり寄せる。
最後の闘い――永遠の闇という名の絶望との闘いだった――を終えてガイアに戻って来ることができたとき、旅の仲間が飛空挺に乗り込む中、自分一人残って暴れるイーファの樹の中に入ったことを思い出す。その目的がクジャを助ける事だったことも。そして、樹の奥で傷つき動けなくなっているクジャを助け出そうとした矢先に、イーファの根の大群に襲われたことも。
「……オレたち、どうやって助かったんだ?」
「君はあの時、咄嗟に僕を掴んで下へと飛び降りたんだ」
まあ、転がり落ちたと言う方が正解かな、とクジャは続けた。
「でも、それならここはどこなんだ?」
クジャの言う通りならば、ここはクジャが倒れていた場所の真下ということになる。だが、あそこには砂があっただけで、こんな光源はなかった筈だ。
「ここは、イーファの樹の最下層部だよ。僕たちは根の間に落ち込んで、砂溜りの更に下まで落ちて来てしまったんだ」
イーファの樹の最下層部。そこは、ジタンも一度訪れた事のある場所だ。もっとも、そのときはずっと高い所から下を眺めただけだったが。
「この光は、イーファの樹の動力源ってことか」
「そういうことになるね。――でも、それにしては光が弱い」
たしかに光が弱まっているように感じた。前に来た時は遥か上から眺めるだけでも眩しくて、今のような近距離からは直視することが出来なかったはずだ。
ジタンは手を伸ばしてすぐ傍の光源に触れる。煌々と光を放つそれは意外と冷たく、何故かはわからないが、指から伝わるその温度は迫り来る終焉を予感させた。根拠のない不安に目を細めるが、そうしたからといって何かが分かるわけでもない。
クジャの視線を頬に感じながら、触れた指先から辿るように上をふと見上げると、樹の根の大群がジタンたちにその切っ先を向けていた。
「げっ!?」
思わず叫ぶと、落ち着いた声がする。
「心配しなくてもいい。あの根は既に石化しているよ。……それどころか、この樹全体が石化しているようだ」
よく見てみると根は灰色に凝り固まり、周りの壁もかつてジタンたちが訪れた時のような鳴動をしていない。
「光が弱い原因はこれだろう」
「それって、どういうことだ?」
「イーファの樹は死んだのさ。だから石化してしまった」
「でも、これが光ってるってことは、まだ動力源が動いているってことだろ。なら、死んではいないんじゃないか?」
「死んでから間が無いだけだ。まだ光っているのは残ったエネルギーを全て使い切るつもりだからだろう。じきにこれも光を失う」
「……だったら、こんな所でグズグズしてらんねーな」
一度だけとはいえ、内部に足を踏み入れたことのあるジタンは大体の構造を把握している。深部は暗闇に閉ざされていて、感知センサーによって光る装置――あのときは気付かなかったが、あれらはジェノム体に反応するようにできていたのだろう――と動力源の放つ光が唯一の光源だった。動力が止まった今はあらゆる装置も動かなくなっているはずで、動力源が放つの光までなくなれば辺りは完全な闇に包まれるだろう。そうなってしまうと身動きが取れなくなる。
ジタンは重い身体を叱咤し、ゆっくりと立ち上がった。
「それにしても狭いな、ここ」
イーファの最深部は擂鉢状になっていて、見上げれば圧倒される壮大な空間が広がっているが、立ち上がろうと足を踏ん張ればすぐに互いの膝がぶつかってしまう狭さだ。
思わず愚痴を溢したジタンに、クジャが年長者らしい口調で諭す。
「お蔭で僕らは生きているのだから、そう文句は言うものじゃないよ」
「『お蔭で』って?」
「動力源を傷つける訳には行かないから、あの根はすぐ傍に居た僕らを攻撃出来なかったんだ」
「なるほど。っていうか、お前なんでそんな事がわかるんだ?」
「起きていたからね」
クジャはさらりと言った。目覚めた彼は、頭上にある根を観察しながらジタンが起きるのをずっと待っていたそうだ。
それを聞き、ジタンは目を見開く。
「信じらんねぇ。迫ってくる根を観察するなんて――」
「ただ、じっとしているだけだからね。これからする事に比べれば、なんてことはないさ」
クジャは傍らの柱を見上げた。樹の内壁を緑色に照らしている竪琴の弦のような太い糸は、規則的な曲線を描く木と絡み合うようにして遥かな高みへとのびている。
「ここを登るしかないのか……」
ジタンは苦笑すると、クジャに手を差し伸べる。
「お前、大丈夫か? その足で」
「大丈夫だよ。ここを抜け出すことくらい出来る」
裂けた布から覗くクジャの右足は、出血こそしていないが赤く腫れ上がっていた。見ているだけで痛みと熱が伝わって来そうな傷だ。しかし、クジャは言葉通り何でもない様子でジタンの差し出してきた手を取って立ち上がる。
「さて、行きますか」
ジタンは腰を左右にひねりながら言った。
二人の前には、途方もなく高い難関が待ち構えていた。
「くそっ、ここも行き止まりかよ!」
ジタンは叫ぶと目の前の石壁を殴るが、それはびくりともせず、腕に痛みが走るだけで何も起こらなかった。
「……あとは、もう少し、上に、行くしかない、ようだね」
息の上がったクジャは壁に寄りかかりながらずるずるとその場に座り込む。ジタンもクジャに倣うように、その場にしゃがみこんだ。
荒い息遣いが狭い空間に満ち、他の音はどこかへ避難したかのようになりを潜めている。動力源が放つ緑色の光も、時を追うごとに明るさを失っていた。今はもう、どこから来ているのか分からない淡い光だけが頼りだ。
「――なんだい?」
先程からチラチラと向けられるジタンの視線に耐えかねて、クジャが億劫そうに口を開いた。
「お前……本当に足、大丈夫か?」
「ああ、そういえば怪我をしていたね。言われるまで忘れていた位だから大した事はないよ。さっきのポーションが効いたんじゃないかな」
クジャはそう言ったが、大した事ない筈がなかった。赤く腫れていたそこは仄暗い中でも分かるほど紫に変色し、大きな痣のようになってしまっている。道具類は落下の際に失くしてしまったらしく、使用したポーションは残っていた唯一の物だった。それも全く無事だった訳ではなく、落下の衝撃からかヒビがはいっていて半分しか中身が残っていなかった。たったそれだけのポーションで痛みが消える筈がない。
しかし、今のクジャはそれを認めようとしていなかった。荒い息を抑え込んで早口になる口調だけが彼の痛みを伝えてくれる。
「……辛くなったら言えよ」
他に言いようが無くて、考えた末に出したジタンの言葉にクジャは微苦笑しか返さなかった。再び、狭い空間に二人の苦しい息遣いのみが満ちる。
その息遣いが落ち着いたものに変わった頃、クジャが壁に手をついて立ち上がった。
「そろそろ行こうか。もう少し登った所に、幹の上部から外へ出られるものがある」
ジタンはこくりと頷く。
「一日以上は経っただろうに木漏れ日が全く無いことを考えると、おそらく梢のほうは完全に塞がってしまっているだろう。となると――次で最後だ」
イーファの樹が石化してしまっているせいで、二人は樹に絡まった蔦や隙間を縫うように生えたガルガン草、あとは何かの拍子に捕まえられた小さな虫以外に食べるものがなかった。小動物達はとうの昔に逃げ出ていたようだ。
二人は期待の全てを見えない出口へと注ぎ、飢えと渇きに重さを増した身体を叱咤しながら再び歩き始めた。
「ここも、ダメだったか……」
クジャが案内した最後の出口は、石化した根に固く閉ざされていた。
ジタンは目の前の壁を力なく叩いた。
ごつごつとした感触に、数ヶ月前に見た壁を思い出す。イーファの樹がある外側の大陸の遥か南、霧の大陸にある魔の森の主を倒したとき、森はジタンの友人を道連れにして全てを石と化し、全てを閉じ込めた。現在と似通った状況だ。ただし、あの時の壁は友を助けようとするジタンたちを阻んだが、今回の壁はジタンたちが助かることを阻んでいた。
(結局、ブランクを助けるまでにかなり時間掛かったよなあ。今のオレたちじゃ、あと三日ともたないだろうから、早く次の方法を見つけ出さないとダガーの願いを叶えられなくなっちまう)
ジタンが考えていると、クジャがゆっくりと壁に近付いて来る。
ジタンは暗闇の中でその気配を感じながらも必死に頭を働かせていた。――何か手段はないか。今まで乗り越えてきた色々な試練のなかに、何か役に立つことはなかったか。よく考えれば、まだ何か方法があるのではないか。
「ジタン」
とても静かな声がすぐ横から聞こえた。
「どうした?」
顔を上げるとクジャの手元が燐光に包まれている。
クジャはその手を目の前の壁、彼が出口があると言っていた所へ向けている。
「……クジャ?」
「ジタン、君は僕の背中に隠れていてくれ」
「どうする気だ?」
「これからフレアスターを放つ。瓦礫が飛ぶだろうけど、術者の背後なら被害は最小限で済むはずだ」
「でもお前、そんな体力残って無いだろう!?」
「大丈夫だ。この魔法は最小限の体力消費で発動できる」
「だったとしても、これ以上はお前の身体に――」
「目の前に方法があるんだ。試さない手はないだろう?」
「でも……」
なおもジタンが食い下がると、クジャは顔だけで振り返る。
「どうせ僕の命は残り僅かなんだ。それを惜しんで、君も命を落とす必要はない」
「そんなこと――」
「ただ」
手元から放たれる光がまぶしくて、クジャの表情ははっきりとしない。だが、
「君だけは生きるんだ」
その声は、強く、温かだった。
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