「ちっ」
小さく舌打ちを零し、サラマンダーは風除けになる岩を探して腰を下ろした。体力はまだまだ充分に残っていたが、海を渡るまでに多大な気力を消費してしまったせいで不自然な疲れを感じる。
「あと少しだってのに、情けねえな」
嵩張る荷物を下ろして一息つくと、風が岩の間を抜けていく独特のか細い音が耳を撫でた。昼になって陸の空気が暖まったために海風が強くなってきたのだろう。
今、サラマンダーはイージスタンコーストにいた。霧の大陸北西部に位置するその海岸から少し南東へ足を伸ばせばクレイラ跡地、さらに行けば徒歩で二、三日ほどでブルメシア王都に辿り着く。チョコボのチョコに乗れば丸一日ほどでブルメシアまで行けるだろう。
当初の計画ではこのまま野宿で繋ぎながら徒歩でブルメシアまで行くつもりだったのだが、予想以上に手荷物が多くなり、このままでは戦闘もままならない。近頃、この辺りではグランドドラゴンが高原から降りてくるようになったという話を聞いたことだし、用心するに越したことはない。
その情報は昨日まで滞在していた黒魔道士の村で耳にしたものだった。しかし、大荷物に閉口する羽目になったのも、あの村に滞在したからだ。幸い、マーカスとベネロが黒魔道士の村を訪れて来たので帰りの船に同乗させてもらうことができたが、それもイージスタンコーストまでで、彼らは陸沿いに南下してリンドブルムに帰り、サラマンダーは大荷物を抱えて立ち往生している。
「……チョコを呼ぶか」
チョコの身体は一つしかないから他の誰かに呼ばれているときなどは駆けつけてくれることはないが、ジタンは軍に所属しているのだから気安く呼べないだろうし、ダガーとスタイナーとフライヤは国を離れることがまずない。エーコも大公家に養子に入ったのだからチョコを駆るようなことはないだろうし、ビビの子供たちはチョコよりもボビィの方を重宝しているようだ。クイナはそもそもチョコを珍味の源としか見ていない。
はたして、ギサールの野菜を丸々一本燃やしたところでサラマンダーの前に白金色のチョコボが現れた。
ぬかるみに次々と水溜りを刻んでいたチョコの鉤爪が石畳を噛んだ。その先に広がるのは『青の王都』と呼ばれるブルメシア王国最大の都市、その残骸だった。
ブルメシア・クレイラ復興活動隊は両国の国境にある谷間に基地を建設した後、クレイラ魔法大樹の復活とブルメシア王宮の修復を中心に進められている。ベアトリクス率いるアレクサンドリアからの支援隊は支援物資の運搬を手助けする都合でブルメシアアーチ付近にある廃墟の町に手を加えて駐留しているそうで、それが本当に援助の都合ゆえなのか迫害ゆえなのかは分からない。そんな中でフライヤはベアトリクスたちとブルメシアンの仲立として王都を中心に飛び回っていると聞いた。
それにしても、時の流れとは不思議なものだ。
ガイアを懸けた戦いが終わってから八ヶ月ほどの間にネズミ族ばかりの基地ができ、アレクサンドリア王国軍の花形だったベアトリクス隊は迫害を受けて辺境に追いやられた。そしてブルメシアとクレイラの現状を教えてくれた『鉄の尾』フラットレイを前にしてもサラマンダーの心の中には何の感慨も湧いてこなかった。少し前のサラマンダーだったなら確実に相手の力を量りたいと思っただろうに。
チョコボで街中を歩くのもはばかれるので、サラマンダーはチョコの背に括りつけた荷を下ろし始める。王都での復興活動隊は王宮周辺に集まっているとフラットレイが言っていたから、フライヤがいるのもこの辺りだろう。
すると、
「なんじゃ、サラマンダーか。しばらくぶりじゃのう」
背後からの声に振り返ると、そこには薄汚れた旅装束のフライヤが立っていた。どうやら、ついさっきまで街の外にいたらしい。
「よう」
「先月から黒魔道士の村に逗留していたそうじゃな。子供たちは元気でやっておったか?」
「ああ、全員ずいぶんと魔法の腕が上がっていた」
新生黒魔道士たちはジェノム体をベースにしているが性質としては黒魔道士に近く、ビビの子供たちは生まれて間もないときから黒魔法が使えた。その後、ビビの手解きの甲斐あって幼さに見合わぬ技術を持つようになった。それでも遊びや冒険話を強請ったり些細なことを誇らしく自慢してきたりと子供らしい面も見られた。
288号は相変わらず墓守を続けているし、少しずつ感情が豊かになったもののミコトは人の世話に慣れていないし、ジェノムたちの中には意志を獲得して名前を持つ者も増えて来たが、まだ戸惑うことも多いようで子供に手を差し出す余裕は無い。そんな環境にいるせいか、サラマンダーやタンタラスなどが訪ねてくると子供たちは嬉しくて仕方ないらしい。
その嬉しさの証が、チョコの背から下ろし始めた荷物に交じっている。
サラマンダーの行動を手伝わずとも見ていたフライヤがそれを見とめて、噴き出した。
「お、おぬしが……ぬいぐるみ……」
綿の収穫の真最中に訪れたサラマンダーに、子供たちは大きなモーグリのぬいぐるみを押し付けたのだ。六人がそれぞれ四肢と頭と胴体を作ってつなぎ合わせたもので、裁縫上手のライザが頭のポンポンを、皆に存在を忘れられていた尻尾を直前になってレオが思い出したため、一番手際が良いカルノが加えて完成した物だ。なんとなく右手が太くて左足が長い気もするが、綺麗な出来上がりだった。
子供たちの手製だと説明してぬいぐるみを渡すと、フライヤは慎重に抱きかかえて嬉しそうに笑った。ビビの子供たちはビビだけの子供ではなく、黒魔道士たちやビビと旅を共にしてきた仲間たちの子供でもあるのだから、なかなか黒魔道士の村まで足を伸ばせない彼女には成長が嬉しいのだろう。
今回の滞在中にも子供たちの様子を問いただされるのだろうと思い、サラマンダーは内心で溜息を吐いた。
「それで、他国の情勢はどうだ?」
「アレクサンドリアは物資支援とベアトリクスたちの派遣によって表面上は落ち着いているが、反発心と禍根が拭いきれたとは言えぬな。自国の復興にも追われておるのだからダガーもさぞ辛い思いをしていることじゃろう。リンドブルムは技術支援をして復興に貢献しておるし大国としての威厳を失っておらぬ。我が国でも生き残っている幼子と母親の多くが身を寄せておってな、ずいぶんと世話になっている。……それと、近くにあるいくつかの小国が我々に対して不穏な動きを見せておったが、皮肉なことに、復興の最大の邪魔者でもあるグランドドラゴンが鉄壁となってくれて事無きを得ておる」
「リンドブルムの開拓団はどうなっている?」
「かなりの評判になっておるぞ。鉄不足解消は大陸全土の課題じゃったからな、まだ鉄が出回るには時間が掛かるが人民の期待は計り知れない」
偽名を名乗って正体を隠しているのだから当然の事だが、フライヤは開拓団を率いている一人がジタンであることを知らない。事実を知って怒る彼女の姿は想像に難くないし、実際いつかは迎える光景だろう。
「そういえば、その開拓団が来月からはトレノ近くの国境地帯の駐在に就くらしい」
「詳しいな」
「開拓団の前任を務めていた将軍が、ここを通って外側の大陸へ行くのじゃ。その世話を任されておるから多少の交流があっての。そのときに開拓団の話も上がったのじゃ。――そういうおぬしこそ興味があるのか?」
「忘れ去られた大陸で作戦中の開拓団に遭遇した」
「ほう、私はまだ彼らに会ったことはないのじゃが……どうじゃった?」
「……面白い奴らではあったな」
興味があるようだったが、サラマンダーに詳しい話をする気がないことを悟ったのか、フライヤは問いただすようなことをしなかった。
「ところで、ビビの子供たちや開拓団について教えてくれるなどという殊勝な理由で私に会いに来たわけではないのじゃろう? それとも、ぬいぐるみを見せびらかしたかったのか?」
「お前に可能なら、これを翻訳してほしい」
近くの軒下に移動し、袋から取り出した布包みをそのままフライヤに渡す。話の流れで書物だと察した彼女は濡らさないように慎重に布を解いた。
「ルフェイン文字か。……『テラ記』じゃと!?」
「俺の先祖が記したテラに関する研究書らしい」
「これを全て翻訳するんじゃな」
独り言のように呟くフライヤの手の中にある本は、気軽に持ち運んで読めるような薄さではない。
「できないなら別にいい」
サラマンダーが挑発的に言えば、フライヤは目を細めて面白そうに笑う。
「ただで滞在できると思っているわけではあるまい?」
その問いは肯定的な返事ととって間違いない。
つまり、たった今サラマンダーがこれから長期間ブルメシアに滞在することと、その間に復興活動を手伝わなければならないことが決定したのだ。
(忘れ去られた大陸ではジタン、黒魔道士の村ではガキども、ブルメシアではフライヤか)
裏稼業No.1の地位にいた孤高の男の影はどこへ行ったのやら。
深く吐いた溜め息に、少しだけ笑みが混じった。
BACK
MENU
Postscript