贅沢に飾られながらも品のあるヒルダガルデ3号の客室では、行きと同じようにダガー、ビビ、エーコの三人がお茶を楽しみ、スタイナーはダガーの後ろで直立不動を保っていた。
 リンドブルムの街で巡った店や起こった出来事について思い出しながら面白おかしく一通り話してしまうと、そろそろアレクサンドリアに近付いてきた。
 ふとダガーは、テーブルを挟んで反対側のソファーに座るビビとエーコに訊ねる。
「ビビとエーコはこの後、アレクサンドリアに寄っていくの?」
「ううん。このまま夜行で黒魔道士の村に帰るよ」
 本当はアレクサンドレアの街もいろいろ回りたいんだけどね、と続けるビビに、それならなぜ寄っていかないのか、とダガーが首を傾げると、エーコがビビの代わりとばかりに話しだす。
「新しい黒魔道士がもうすぐ生まれそうなのよ。ビビはお父さんになるんだから、ちゃんと側にいないとでしょ? だから、すぐに帰らなきゃなのよね!」
 誰かが言い始めたわけではないが、ダガーたちは近況報告のために手紙のやり取りを頻繁にしていた。旅の仲間でビビとエーコの手紙が一番多く、その中には新生黒魔道士の話も書かれていた。
「エーコは、ビビがお父さんとしてのイゲンを持てるのか、不安でしかたがないのよね」
「ボ、ボクも、村一番の物知りだから288号さんがお父さんになった方がいいと思ったんだけど……」
「でも、村のみんなから『是非、ビビに』って言われたのでしょう?」
 モジモジしながらこくりと頷く姿は、確かに、子供然としていて頼りない気もする。しかし、
「無事に生まれるといいわね」
「うん。あの子たちには、戦いの道具としてじゃなくて一つの命として生きてもらいたいんだ」
 ダガーの言葉に返したビビの声には大きな包容力があり、とても暖かな愛情に溢れていた。
 ダガーと同じようにエーコも微笑んでいるところを見ると、自分の言葉に反して、彼女もビビに信頼を置いているのだろう。








 新生黒魔道士の事やミコトの研究の事、黒魔道士の村でのジェノムの様子などを話していると、エーコが「ちょっと失礼」と微笑んで立ち上がり、扉の方へ歩いて行った。
 隣に座っていたビビは、不思議そうに訊ねる。
「あれ、どこ行くの、エーコ?」
「レディーが『ちょっと失礼』って席を外したら、トイレに決まっているでしょ!! そんな分りきったこと言わせないの!!」
 と、一息に言ってしまうと、ぷんぷん怒った様子で大股に部屋を出て行ってしまった。
 ここで普段ならば、ビビは困ったような表情を満面に浮かべてモジモジし出すところなのだが、ビビは躊躇した様子でダガーに声をかけてきた。
「……あのね、おねえちゃん」
「なあに?」
 いつものビビらしからぬ切り替えと、その真剣な顔に、ダガーも襟を正す思いで先を促した。
「――ジタンは絶対、帰ってくるよ」
 ダガーの後ろに立っていたスタイナーはビビの放った『ジタン』という言葉に身体を強張らせる。ダガーは身動ぎすらできない。
「何でだかわからないけど、ボク、ジタンは生きてると思うんだ」
 ビビは真剣な声音で言うと、今度は恥ずかしがるような態度で続ける。
「霧を止めるためにイーファの樹へ行ったでしょ? あのとき、ボク、樹に行く前にいろいろ考えすぎちゃって頭の中のグルグルが止まらなかったんだ。そしたらジタンが、全ての悩みに対してできることは『行動をする・しない』の二つを選ぶことしかないんだって言ったんだ。だから――二つしか選択肢がないから、悩んでしまうのは当然なんだって。そして、悩むなら『する・しない』の決断に基準を作ればいいって言ったんだ」
 ダガーの方に向けられたビビの金色の双眸は、彼女を突き抜けて、遠くに映る記憶の中の情景を見つめているようだった。
「ジタンの基準は、できるかどうかは別として、手が届く限りは守りたいって気持ちなんだって。――そう言ったときのジタンはすごく力強くて、ボクは勇気をもらえたんだ。……でも『手が届く限り』って、自分にできる範囲でってことでしょう? なのに『できるかどうかは別として』っておかしいよね」
 そう言うビビは、ずいぶん大人びた、困ったような笑みを浮かべた。
「ボクが思うには、たぶんジタンは守りたいと思ったものは何があっても守ろうとするんだよ。手が届かないなら必死に手を伸ばして駆け寄って。――ジタンは守りたいものがあるなら、そのために、とにかく行動するんだよ」
 ダガーもスタイナーも、何も返せなかった。
 夕暮れ近くなった空を飛ぶ船の中は、乱反射を繰り返す光によってぼんやりと柔らかい紅色に染められていた。その空間の中で、部屋に施されたどの金細工の装飾よりも、ビビの瞳は美しい輝きを放っている。
「だからボクは、ジタンはどんな事があっても絶対諦めずに、生きて、帰ってくると思うんだ」
 今度こそダガーの瞳だけを見つめて少しも視線を逸らすことなく、そう言い放ったビビの表情には不安も疑いの気持ちも無かった。
 しかし次の瞬間には、先程と同じく大人びた困ったような笑みを浮かべて言う。
「ただ今は、踏ん切りが付いていないんじゃないかな。ほら、ジタンって変なところで、恰好付けしいで意地っ張りじゃない?」
 ずっと年上のジタンに対するビビの評価とその表情に、思わずダガーはクスクスと笑ってしまった。
 ビビは笑っているダガーを見て自分も嬉しそうに笑う。そして、グローブに包まれた小さな手を小さな胸に押し当てて、目を瞑った。
「今はどこか見えない所にいても、何だか気持ちが伝わってくる気がするんだ。――ボクの勝手な思い込みかもしれないけど、みんなの心は繋がってるよ。あの旅を乗り越えることでボクたちの心は繋がったんだよ」
 ダガーもビビのように胸に手を当てて、ゆっくりと目を閉じた。
 そうして心に浮かんでくるのは、支え合ってきた人たちの顔。それから、どんなに離れても消えることのなかった信頼の気持ち。――絆。
「旅が終わって、みんなバラバラになって……でも、ボクたちは一人じゃないんだ。だからボクは頑張れる」
 強く穏やかに力を込めて言ったビビは顔を上げる。そして、ビビに続いてダガーが顔を上げると、一転、再び躊躇の色をありありと見せながら話しかけた。
「だから……その……おねえちゃんも、一人じゃないから……頑張ってね? おねえちゃんが元気でいれば、みんなも元気になれるよ。おねえちゃんが笑っていれば、ジタンも笑って帰ってこれるよ」
 先程までの自信は何処へ行ったのかと言いたくなるほどオドオドとしているビビに、ダガーは滲み出るような微笑みを向けた。だが、ビビは両手でとんがり帽子のつばを押さえつけて俯いたままで、ダガーの笑顔に気付かない。
「な、なんだか、ボク、言ってることムチャクチャだね……」
「ううん、そんなことない」
 ダガーはゆっくりと首を振って答える。
 少し落ち着いたのか、ビビはおずおずと顔を上げる。
「ありがとう。ビビ」
 今度こそダガーの笑顔に気付いたビビは心底ほっとしたように胸を撫で下ろす。
 すると、急に背筋を伸ばして慌てたような声を出す。
「そうだった!」
「どうしたの?」
 ビビの様子の変わりように驚いたダガーが訊ねる。
 ビビは心持ちダガーに顔を寄せながら声を潜めて言った。
「エーコに、おねえちゃんを悲しませないためにもジタンの話はしちゃだめって言われているんだ。だから、この話はエーコには内緒にしておいてくれる?」
「わかったわ。内緒ね?」
 ダガーは楽しそうな表情でウィンクを返しながら、エーコが部屋を出た途端に話を切り出した訳はこれなのかと納得した。
「スタイナーのおじちゃんも言わないでね」
「ビビ殿の頼みとあらば、口が裂けても決して言いません!」
「あ、ありがと」
 ビビは、スタイナーの気迫のある返答に戸惑ったような声をあげた。
 丁度そのとき、客室の扉が開いた。
「ねえねえ、飛空挺って面白い構造してるのよ! エーコね、さっき機関室に寄って来たんだけど、センサイでゴウカイで、とにかくスッゴク面白かったんだから!」
 エーコの興奮した勢いのままに語られる話は止まることを知らず、結局、アレクサンドリアに着くまでの短い間、飛空挺語りに終始することになったのだった。






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2007.10.20
last-alteration 2009.01.07