太陽が西の山脈に沈みかかった頃、ベアトリクスは隊の者と城下町の巡回を終えて城への渡し舟を待っているところだった。
彼女の前方には修復中のアレクサンドリア城の大剣があった。
召喚獣バハムートにつぐ飛空挺インビンシブルの攻撃により破壊された大剣は、城の周辺に散りぢりになりながらも全ての破片が集められていた。しかし、その破片を繋ぐ作業は
難航しているそうだ。
今は見事にぽっきりと折れている大剣は、アレクサンドリア山脈からしか採れない特殊な鉱物を使い、古くから伝わる呪法をかけることによってできている。
件の鉱物の扱い方と呪法のかけ方はとある一族の秘伝で、アレクサンドリアの大剣の管理や改修作業はその一族にのみ任せられてきた。しかし、需要の少ない鉱物と呪術だけではやっていけず、一族は衰勢していき、今は呪術が使える者も一族の数自体も少なくなってしまったと聞く。
(そういえばスタイナー将軍家は、ずいぶん昔にその一族と分派した家系でしたね)
ベアトリクスと同じ大将位を務めているアデルバート・スタイナーは名家の出で、仕官した当初から多くの者に期待されており、若くして名誉あるプルート隊隊長に任ぜられたが、その熱い忠誠心はともかくとして、あまりの才能の無さにプルート隊員は次々とアレクサンドリア隊かベアトリクス隊へ異動し、ついにプルート隊は千人余りの大隊規模にまで成り下がってしまった。スタイナーも肩書きだけは大将位だが、実質は少佐と変わらない隊しか率いていない。
呪術者の一族も将軍の一族も、スタイナーという苗字を持つ家系は衰運の相が出ているのだろうと、誰かが面白半分に噂してるところをベアトリクスは小耳に挟んだことがあった。
彼女はそのような話をする事を好まない性格なので何とも思わなかったが、実際のところ、スタイナー家は危ういところだったのではないだろうか、と思う。唯一の後継ぎが、ぽっと出のベアトリクスに御前試合で連敗を喫すし、任せられた名誉隊は小規模化していく。小規模化していく故に軍の主力はベアトリクス隊へ移っていき、君主の信頼も、また然り。
だが今は、スタイナーはガイア全土を懸けた戦いの英雄だ。
彼ら八人の英雄の話は、人の噂というものはこれほどの勢いがあるものかと感心したくなるほど全国に広まっている。
金色の尾を持つ少年、ジタン・トライバル。アレクサンドリア始まって以来の美姫、ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世。黒き小さな動く人形、ビビ・オルニティア。麗しき女竜騎士、フライヤ・クレセント。食の道を求める料理人、クイナ・クゥエン。一角を戴く少女、エーコ・キャルオル。裏稼業No.1の腕を持つ賞金首、サラマンダー・コーラル。そして――忠義の心を盾に主君を守るアレクサンドリア騎士、アデルバート・スタイナー。
彼らの戦いの一部始終を見たものはいないが、いろいろな目撃談をつなぎ合わせて事実に近い話が広まっている。途中で付けられた尾ヒレのせいもあるだろうが、八英雄とも呼ばれる彼らは伝説級の憧れの的になっている。
衰退していたスタイナー家も一躍、名門に返り咲いた。
それにひきかえ、ベアトリクスは霧の大陸で前アレクサンドリア女王ブラネが仕掛けた全ての戦争で先頭に立って全軍の指揮を執っていた。戦を仕掛けられた国の民の目には、ベアトリクスは悪魔以上に醜く非道な姿として映ったに違いない。アレクサンドリア国内でも戦争犯罪人として裁くべきだという声が上がっている。調子のいい事に、スタイナー家はその筆頭だ。
ガーネットもスタイナー自身も、気にするなと励ましてくれるのだが、ベアトリクスへの風当たりは弱まる気配は無い。
(悔しいな……)
別にベアトリクスは自分よりもスタイナーの評判の方がいい事を悔しがっているわけではなかった。痛々しいまでに傷つき命を落とすまで狂態を晒した主君を諌められなかった事が悔しいのだ。
ガーネットは母を止めようとし、スタイナーはそれに付いて行った。ベアトリクスは主君の行動に異常を感じながらも放っておいた。自分が二人のように、考えるだけでなく行動を起こせば、何か変わったかもしれないのに。
「隊長、どうしたのでありますか?」
突然掛けられた声にはっと前を見ると、いつの間にか船着き場には舟が到着していた。船渡し番の兵も一緒に街の巡回をしていた女性兵も不審そうにベアトリクスを見ている。
「いえ、何でもありません。戻りましょうか」
「はい」
ゆらゆらと舟に揺られながら水面の向こうにある城へ向かう。
城は数日前までとは似ても似つかないほどの生気に満ちているはずだ。
三日前にリンドブルムから来たビビとエーコは、主君を通じて城の者にも元気を分けてくれた。どうしても荒廃した雰囲気が消えない城内をどうにかしようと、さんざん頭を悩ませていたのだが、二人の子供に、復興に必要なはずの活気というものが欠けていたのだと今更になって気付かされた。
この後アレクサンドリアは今までの滞りを挽回して上回るほどの勢いを見せるだろう、とベアトリクスは思っている。そして、その勢いに自分が乗れないだろうことも。
「私は、
無辜
の民を殺し過ぎた」
「何か仰いましたか?」
思っていたことが口に出てしまい、ベアトリクスは再びはっとする。
幸い何と言ったかまでは聞こえていなかったようだが、あまりの締まりのなさに小さく自嘲する。
「いえ。……あなたは、異動する心積もりはありますか?」
「異動、でありますか?」
突然の上官の言葉に女性兵は言葉を詰まらした。
そのとき、大きな音を轟かせながら上空を飛空挺が横切った。その音に、陛下が戻られましたね、と微かに船渡しの兵の声が混じる。
船渡しの兵はすぐ近くまで迫っていた岸に舟を着けた。
ベアトリクスが舟を下り、女性兵も後に続く。先ほどの質問に求められる答を考えていたのか、女性兵は前を歩くベアトリクスの向かった先が城内であることに気付くのが数秒遅れた。
「隊長、陛下の出迎えに行かなくてもよろしいのですか?」
「なぜ、軍への権限を持っていない内大臣が、大将の私に陛下が帰ってこられる予定時刻の巡回を言い渡したか、理由を考えなさい」
ベアトリクスの言葉に、女性兵は悔しそうに唇を引き結んだ。
「私は何件か書類を片づけてから陛下のもとへ参ります。あなたは持ち場に戻りなさい」
敬礼をすると、悔しそうな表情をそのままに女性兵は奥へと消え去った。
ベアトリクス隊特有の敬礼は、以前はエリート女兵士の証だったはずだが、今は違う。
今後アレクサンドリアが活気ある未来へ邁進すればするほど、ベアトリクスは取り残されていくだろう。
それが自分の宿命というものなら甘んじて受けるつもりだが、それに自分の隊の者が巻き込まれることだけは避けたいとベアトリクスは思っている。
「行動しなければ……」
彼女の呟きを掻き消すように、遠くから鎧の擦れる騒々しい音が近づいてきた。ベアトリクスはその音から離れるように詰所へ足を早める。
「私は、いったい何がしたいんだ」
今スタイナーに会うと心配をかけてしまう。その気持ちもあったが、胸のどこかに逃げたい心があったことも確かだ。
(私は何から逃げたいのか、何を受けて立つつもりなのか……)
判然としない思いに、ベアトリクスは自嘲の笑みを浮かべた。
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