――なあ、ロナルド。
――なんだ?
舞台は乾いた高台の荒原。
――前に言った小鳥のこと、覚えてるか?
――アレスが捕まえたいと言ったものだろう。
主人公は2人の青年兵士。
――……その小鳥が、エイヴォン卿の作品が好きなんだ。
――それは気が合いそうだな。捕まえた暁には、ぜひ、会わせてくれないか?
観客は瞬く星々、もしくは金に滲む双子月だろうか。
――そうだな。――そういうのも、楽しいかもな。
「なあ、ロナルド」
「なんだ?」
それは、二人で諸任務の書類に目を通している時間のことだった。
「これ、ありがとな」
先々月、忘れ去られた大陸から帰還した開拓団は名称が変わり、両隊長の地位が上がり、部隊が拡張されたものの、大公直属という形態のままリンドブルム東部の駐留軍となっている。それは開拓団の帰還と入れ違いに外側の大陸へ派遣されたビッグス隊の代理という形だ。しかし、担当地区であるキングエディ平原東部・マキキビーチ・デレクビーチには大きな都市が少ない一方で賊が多く小規模な戦闘が絶えないことを考慮すると、求められているものは忘れ去られた大陸派遣時と大して変わらない気もする。戦う対象が人になり、護る対象が増えただけだ。
そんな職場環境だから気軽に城下へ戻ることなどできず、つまり家に帰ることもできない。ジタンはもともと家らしい家も無いし、家族といったらタンタラスの顔が浮かぶものの離れ離れになるのを悲しむような関係では決してない。しかし、ロナルドは城下にある屋敷に母親を残している。開拓団派遣の直前に継いだばかりの家督の一部を叔父に預けて雑務の一切も任せているそうで、今もそのまま丸ごと叔父に任せているらしい。
盗賊をしていたジタンはそれなりに貴族に関する情報を持ってはいたが、主に屋敷内の構造や使用人の概数や警備の規模についてくらいで、当主がどうのこうのといった情報は実際に忍び込む段になってから必要の場合にだけバクーから与えられるようになっている。ロナルドの家の事情を知ったのも、ワッツとニーダを交えて四人で話していたときだった。
とにもかくにも、アレス隊・ロナルド隊の者たちのほとんどは家に帰ることができない。
それは開拓団派遣のときも同じではあったが今回は派遣時とは比べて暇が多く、暇潰しの手段もクアッド・ミストなどのカードゲームや鍛練だけではなくなった。なにせ、魔物が出るといっても忘れ去られた大陸に比べれば格段に少なく弱いし、テントではなく周辺の町に建っている駐在所で起居することができる。いつも魔物の襲撃に警戒して多くの時間を移動に費やしていた派遣時と違い、今は定期的な見回りを中心とした哨戒や住民の意見を交えた事務処理をしてしまえば、仮の住処とはいえゆっくりと落ち着ける家があるのだ。
「面白かったか?」
ロナルドはその仮住まいに屋敷から持ってきた本を置いている。その内の一冊を先日ジタンに貸してくれたのだ。
「ああ。難しいわけじゃないけど、考えさせられる話だな」
本の題名は『星に願いを』。家に保管されている原本を持ち出すことはできないから幼い頃に手習いがてら書いた写本だが、と断りを入れながら差し出してくれたそれを、ジタンは喜んで借りた。
ロナルドのことだから小さい頃から大人びた字を書いていたのではないかと思っていたし、実際その通りで思わず笑ってしまった。しかし笑っていたのも最初の内だけで、すぐにエイヴォン卿の描く世界に引き込まれた。
ダガーが好きなエイヴォン卿の物語。エーコの生家に大事に並べられていた物語。
その内容は、複数の男女たちが同じ戦争に巻き込まれることによってさまざまな人生を歩んでいく群像劇だった。女優がルビィ一人という憂き目にあるタンタラスでは、不可能ではなくとも上手く役を回せないだろう。バクーが劇団の演目に加えようとしなかったはずだ。
中には母子や友人の話もあるが、恋人や夫婦たちの話が主だった。対立国の間で揺れる禁じられた恋、戦場へ発つ夫を見送る妻、戦場跡での出会い。
「共感するところもあっただろう」
「さあな」
様々な物語の中に、姫と下級兵士の身分違いの恋があった。その結末は、戦功をあげて姫に見合う地位を得ようとした騎士が終戦直前の戦闘で命を落とし、姫は政略結婚をして平和な次代を築いた、というものだ。
ロナルドはジタンの来歴も目標も大まかに知っている。意味ありげに訊いてくるということは、本を貸したときに彼も騎士にジタンを重ねたのだろう。悲恋と知っていて貸した事実を、意地が悪いととるか、彼なりの忠告なのだととるか。
複雑な思いを抱えていたジタンに、手遊びでページを繰っていたロナルドが声を掛ける。
「重々承知していることと思うが、手段はあくまで手段だ。手段を目的にしてしまったら、本来の目的を見失いかねない。分かっているな――」
強い視線を向け、ロナルドは釘を刺すように『アレス』ではなく本当の名を呼んだ。
「――ジタン」
「――ジタン」
「ん……」
柔らかな白い手がジタンを優しく揺する。
「起きて、ジタン。あと少しで到着されるそうよ」
「もう、そんな時間か」
「ええ、そうよ。早く支度しなくちゃいけないわ」
それでも素直に起き上がらないジタンに呆れたダガーは、少しぞんざいにジタンの頭を膝から下ろすと侍女を呼んだ。
数分後には上質な衣装が揃えられる。それはダガーが先日時間を掛けて自分で選んだ物だった。どうやら、かなりの気合を入れているようで、今もまだどのイヤリングにするかと悩んでいる。
その姿は可愛らしいが、放って置かれている身としては淋しいのも事実だ。
さっさと着替えを済ませてソファの肘掛けに腰を下ろしていたジタンは、鏡の前に根を下ろしてしまったダガーのすぐ後ろに身体を寄せ、その細い肩に顎を乗せた。
「ロナルドのことだから大して気にしないと思うけどなあ」
「もうっ! ジタンは長い付き合いだからそれで済むかもしれないけれど、私はきちんとお話するのだって初めてなんだから」
たしかに、ダガーとロナルドは顔を合わせることは何度かあったものの、じっくりと話をするのは初めてだった。ロナルドが正客としてアレクサンドリア城に招かれるのも初めてのことだ。
「緊張してるのか?」
「少しだけね。話が合うかしら……」
不安げな表情すら絵になるダガーを見つめながら、ジタンは破顔する。
思い出すのは、星と双子月が輝く静かな夜。乾いた高台の荒原。
――前に言った小鳥のこと、覚えてるか?
――アレスが捕まえたいと言ったものだろう。
――……その小鳥が、エイヴォン卿の作品が好きなんだ。
――それは気が合いそうだな。捕まえた暁には、ぜひ、会わせてくれないか?
「大丈夫だって。きっと、すぐに仲良くなるさ」
言葉とともにシンプルな細工のガーネットのイヤリングを渡すと、鏡の中でダガーは美しく笑った。
NOVEL