冬の風 2
アレクサンドリア王国の女王ガーネットが十七歳の誕生日を迎えてから一週間が経ち、リンドブルムの市もずいぶんと賑やかになっていた。
アレクサンドリア王国は初代君主が女王であり以降も女の君主が多かったために女傑の国というイメージが強く、実際、他国に比べて女性有力者の活躍が顕著だった。その影響もあって、アレクサンドリアは女性を中心とした祭が多く、一般的な式典でも女性が関わるだけで格段に華やかさを増す傾向がある。その最たるものが、女王の誕生日の祭だった。
いまだに霧の大戦の余波が残っていることもあり今回の生誕十七年祭は城でのパーティーと観劇は見送られたが、代わりに街路では例年より多くの市が立って多くの座が曲芸や劇を披露した。
その賑わいは決してリンドブルムに無関係ではなく、リンドブルムの商人たちはアレクサンドリアへ赴いて珍しいものを仕入れたり、逆に、あちらでは珍しいものを高値で捌いたりしてくる。また、観劇好きのアレクサンドリア国民の肥えた眼は、駆け出し役者が度胸を鍛えるいい薬にもなる。
そして祭から一週間ほどすると、儲けを掴んで意気揚々と帰って来た商人たちがリンドブルムで特価品を店に並べ出すのだ。おかげで、この時期のリンドブルムの商店街はとても歩きづらい。
(軍服でも着てたら、もっと歩きやすかっただろうに……)
短く謝辞を口にして走っていく通行人を横目に見ながら、ジタンは軽く息を吐いた。
別に恐れられているわけではなくても軍人とみれば住民は失礼のないように距離を置くため、歩きやすくなるのは本当のことだ。それに外見の割に軍服についた面甲の視界は良好で、そのくせ他人からこちらの容貌を覗うことは難しいという優れものは、素性を隠しておきたいジタンにとってはありがたい代物だ。それに引き換え、平服では知り合いに気付かれないように緊張し続けなければならないため、いつも以上に疲れが溜まる。
先ほどぶつかった拍子にずれた帽子を被り直すとジタンは足を早め、通りから奥まった場所にある武器屋のドアを潜った。
「いらっしゃい。――おや?」
「ロニさん、久しぶり」
「ジタン……」
「悪いけど、今はアレス・オクティクスって名乗ってんだ」
「それはまた、何をやらかしたんだ?」
「まあ、いろいろ」
苦笑を浮かべて誤魔化すと、ロニは呆れながらも柔らかく笑った。
彼の笑顔は小さな頃から見てきたもので、いつもジタンは子供扱いに不貞腐れながらも安堵したものだった。けれど今は不思議と不満は湧かず、話せないことに対する申し訳なさも拭えないものの優しい気持ちが心に広がる。
「それで、名乗るためだけに来たわけじゃないんだろう?」
「ああ、まあね。これなんだけど――」
ジタンが出したのは、使い込まれた一振りのダガーだった。
ジタンは基本装備として左腰にはマインゴーシュを、右腰にはオリハルコンとダガーを提げている。この三本はよく使っているから相応の手入れもしているが、マインゴーシュは相手の攻撃を受け止める役目が多く破損が大きいうえ、大抵の店に廉価で並べられているためにどうしても使い捨て状態になってしまう。オリハルコンは高値で入手しただけあって大した劣化は見られないが、ダガーもまた一般的に見れば安物のなんてことない品だ。
「……ずいぶんと、大事に使ってあげているね」
「でも、年季が入ってるから心配でさ。見てほしいんだ」
ロニは小さく頷きながら矯めつ眇めつダガーを見始めた。
そのとき、軽快な足音が店内の静寂を破った。
「ただいまー!」
「げっ、ポール!?」
「え、アレス中尉!?」
入って来たのは、ロナルド隊に所属しているポール・フィガロだった。しかも「ただいま」と言っていなかったか。
「そういえば……」
ジタンが潜ったドアの上には『武器屋フィガロ』と書いてなかったか。
ジタンとポールが口を開けて見つめ合う中、ロニだけが落ち着いた様子で「おまえら知り合いだったのか」と呟いていた。
落ち着いて話したところ、ロニとポールは兄弟だと判明した。
ジタンはロニの実家が武器屋だというのは知っていたし、ポールが武器屋の息子だというのはワッツから聞いていた。ロニが双子の弟の他にも弟がいるのも知っていたし、ポールの兄たちが昔は素行不良だったというのも話のついでに聞いた気がする。だが、それだけで二人を線で結べるはずがない。ましてやロニは自分の名字を名乗っていなかったのだから。
ロニはジタンがリンドブルム軍の中尉に就いていることに驚いただけで終始穏やかに笑っているし、ポールは「縁って不思議なものですね!」と笑っている。その笑みに確かな遺伝を感じてジタンは脱力してしまった。しかしそれも、古びたダガーでも少し時間を掛けたら新品同様になるというロニの請合いに持ち直った。
ポールは兄が持っているダガーを見ただけで、ジタンがいつも装備しているものだと判ったらしい。さすが武器屋の息子だ。
「中尉のダガー、かなり年季入っていますよね。買い替えたりはしないんですか?」
「誰かさんに『物は大切に使うように』って、しつこく教え込まれたからな」
そういってロニを見れば、苦笑を浮かべながらも嬉しそうな様子で修理の見積もりをしている。
「それに、これを手放すことは一生ないと思う」
「……深い思い入れがあるんですね」
「ああ。大切な人との大切な思い出が、な」
あのとき彼女は、このダガーが自分に決意する力をくれたと言っていた。そして、さらなる決意をこのダガーに託した。
だから、ジタンも外側の大陸を発つときにこのダガーに誓ったのだ。
「そういえば、工場区に新しく食堂ができたんですよ! そこで昼飯でもご一緒しませんか?」
「あ、ああ、そうするか。美味いのか?」
「安い割になかなかの味でしたよ。評判もいいですし。――まあ、ラグーの親父さんみたいな独創性には欠けると思いますけれど」
「はは、あれは酷かったもんな」
以前、工場区にある酒場の主人をしていたラグーは、発想力は凄かったがその方向性が少し迷惑でもあり、あんな実験台みたいな真似はごめんだと常々思っていた。けれど、彼の奇抜な味が二度と楽しめないと思うと寂しく思うのも事実だった。
ロニも食事に誘ったが仕事があるからと断られ、ジタンとポールの2人で『フィガロ』を後にする。
少し歩けば人がごった返す通りに入り、人いきれがすごい。だが足元を冷たい風が吹き抜けていく度に、寒気が背筋を駆け上がる。
ジタンはポールに怪しまれない程度に帽子を目深に下ろして肩をすぼめた。
「寒いな。ちょっと急ぐか」
「そうですね。そうしましょうか」
少し軽くなった右半身は、風の冷たさに紛らせて気にしないことにする。
NOVEL