冬の風





 冬の高原では、すぐ下に広がる霧が寒さで凍てつき光を反射して輝くために、空気自体がぼんやりと白く染まっている。雪が積もろうものなら、見渡す限り真白の幻想的な世界が出現するのだ。
 リンドブルム高原も例に漏れず、急な斜面に寝転がったジタンの蒼い瞳に映るピナックルロックスは白く霞がかってぼやけて見える。
 そのとき、さわさわと小さく揺れる草の音に交じって野原を踏みしめる音がした。そのゆっくりとした足音はジタンのすぐ傍らで止む。
「まだ、気にしてんのか?」
 枯れ芝の上で立ち止まったブランクは、ジタンを真っ直ぐに見下ろして言った。
「そんなんじゃないさ」
 長年の付き合いで、ジタンが努めて明るく返事をしたと判ったブランクは、気だるげに溜息を吐いてジタンの隣に横たわるとしなやかに伸びをして遠くの空を見遣った。対するジタンは、草に混じって赤く風に揺れるブランクの髪を横目でちらりと見てピナックルロックスに視線を戻した。
 それからしばらくの間はどちらも口を開かず、二人の間に沈黙が落ちた。
 だが、頭の下に敷いた腕や投げだした足を落ち着きなく何度も組みかえるジタンに心の中で再び溜息を吐くと、ブランクは口を開いた。
「ロニさんのことは仕方ないだろ」
 昨晩、古株の男がタンタラス団から去った。
 彼は面倒見がよく手先も器用だったので、バクーが何処からか拾ってきたジタン――あの頃のジタンは大層ひねくれていて小生意気な子供だった――を文句の一つも言わずに世話して、タンタラス団としての職務も全うしていた。裏の仕事はもちろん表の仕事でもだ。大掛かりで緻密な機械仕掛けのものはシナが一手に引き受けていたが、細々としたセットや特殊な道具・武器はほとんどがロニの作品だ。
「……ボスがタンタラスを盗賊団と劇団に分離させればいいんだ」
「結果は変わらねぇよ。ロニさんの恋人の腹ん中には子供がいるんだ。安定した職に就いて家族を安心させたいだろうさ」
 ジタンが尊敬し懐いていた彼は、恋人が妊娠したと判ると、盗賊稼業から足を洗って実家の武器屋を継ぎたいと言った。至極当然のことだ。
 しかし、ロニを兄と慕っていたジタンは心の奥の燻りが拭えなかった。
 ジタンはバクーに拾われてからずっとタンタラスにいたし、これからもずっとタンタラスにいるだろう。しかしその選択は、愛する人との結婚や子を育てるという選択とは相容れないものなのだろうか。
 黙っていようとジタンは納得していないと分かっているブランクは、小さな声で淡々と言葉を紡ぐ。
「たとえ劇団の皮を被っていようと、義賊である信念を持っていようと、所詮タンタラス団は盗賊の集まりなんだ。ずっと居ていいような所じゃねえんだよ。
 俺とマーカスは、手に負えねえ小生意気なガキだったときにボスに命を救われてからずっとタンタラスの団員だ。ボスに大きな恩がある。――だからこそ俺は、自分に出来る最高のことを見つけられたらタンタラスを抜けるようなことになろうとも突き進んでやる。それが一番の恩返しだと思っているからな」
 ちらりと視線を流して見てみれば、ジタンは虚空を見つめている。何も聞いていないような表情だが、先ほどまでの落ち着きのない動作は止んでいるから耳を傾けてはいるのだろう。
「タンタラスにいちゃ出来ない事があるってことは、タンタラスにいてこそできる事もあるってことじゃねえか。それのどこが悪いんだよ。……ふけてる暇があったら自分ができること考えやがれ」
 そう言うと、ブランクは弾みをつけて身体を起こす。
 瞬間、急に強く吹き付けてきた風に身体を竦めた。まだブランクの足元に寝転がっているジタンも冷たい風を受け、大きく身体を震わせる。
「戻ろうぜ。そろそろ打ち合わせの時間だ」
「……ああ」
 ゆっくり立ち上がったジタンとブランクは肩を並べてアジトへと歩いて行く。
「今回はマーカスに役を取られたな」
「『適材適所』ってやつだろ。ほら、オレの方が盗む腕は良いからさ!」
「ったく、どんなに腕が良くても今回盗み出すのはお姫様だぜ?」
「だから、オレが行くべきなんだろ。オレの甘いマスクで――」
「もう忘れたのかよ! 連れ出す頃にはガーネット姫は夢の中だ!」
 冬の草原を行く二人の少年の声は、風に乗り、白い空気に溶けていく。






NOVEL


2009.04.13
last-alteration 2009.10.26