- あしおと -
村外れにある泉は、西の絶壁から這うように湧き出した水源によってもたらされたもので、ここから延びた小川が村の水源にもなっている。手付かずの木々に抱かれて柔らかな木漏れ日を浴び、時折吹き廻る風に水面を揺らし、時すらもゆっくりと流れているような静謐さを醸す様は村人に憩いの場として気に入られていたが、水だけでなく空気も冷たく澄んでいるため、冬に限らず春や秋でも肌寒い日は人がここを訪れることはなかった。
だが夏も間近な暖かい日、ビビは散歩の足を伸ばして泉まで6人の子供たちを連れて来ていた。
昼食のサンドイッチで腹を満たされ上体を近くの大木に凭れさせて、ビビはうつらうつらとしながら木漏れ日の下で思い思いに時間を過ごしている子供たちを眺めていた。
長男のレオは水辺で炎属性の魔法の練習している。子供たちはみんな黒魔法の素養を多分に持っているが、それでもまだ実用にまわせるほどの実力はない。ただレオだけは、長男の名に恥じず、他の兄弟の誰よりも黒魔法の扱いが上手かった。今も、危なげなく火の球を掌の上に留められている。
次男のカルノは、出掛けるときに道具屋で手伝いをしているジェノムから借りた籐の籠を修繕している。「僕が初めて作ったものなんだ」と言って微笑むジェノムから籠を受け取ったカルノは、泉に到着する少し前に壊れてしまったそれを、手が加えられたと判らないように直そうと必死だ。兄弟で一番手先が器用で村でもよく細々した作業を任せられている彼なら、きっとやりおおせるだろう。
長女のニーシェは、昼食のサンドイッチに使われていたパンの耳を寄ってきた小鳥たちに与えている。ニーシェは食事と同じくらい動物が好きだし、彼女の好意が分かるのか、動物もニーシェによく懐く。泉に来るまでに皆はしゃぎ過ぎたせいで余裕をもって作ったサンドイッチは全て無くなってしまっているから、朝昼晩に加えて10時と3時のおやつにも1食分を平らげるニーシェのためにも3時までには村へ帰らなければならない。
三男のピッセは、辺りに生えている木や草花の名前を一つひとつ妹に教えてあげている。植物が大好きな彼にとって、村はもちろん村の外は天国に等しく、そのうえ数日前から村人に此処の美しさを言い聞かされていたため、ピッセの瞳は今朝からずっと爛々と輝いている。
四男のライザは屋外にも関わらず本を読んでいた。家を出るときに彼が本を持っていたことに気付いてビビが訊いたところ、選んだ本は植物の図鑑だという答えが返ってきた。本に載っている挿絵と辺りに生えている植物とを見比べながら、厚い本のページを行ったり来たりしている様子を見る限り、出不精なライザなりにピクニックを楽しんでいるようだ。
そして末っ子のローフィは、
「お父さん!」
明るい声に、ぼーっとしていたビビは瞼を押し上げる。すると目の前にはローフィが満面の笑みを浮かべて立っていた。
「お父さんにプレゼント!」
ビビは急にずっしりと重くなった感覚に首を傾げながら頭に手をやった。とんがり帽子に引っ掛けるように載せられた何かを取り上げると、目の前が色鮮やかに染まる。
「これ、ローフィが作ったの?」
それは花輪だった。
蔓で作った土台に花を挿してあるそれは丈夫にできているだけでなく、ずっしりと重い。綺麗な花を贅沢にあれもこれもと挿したせいで重くなってしまったのだろう。辺りを見渡して目に入る花は一通り使われているようだ。
「うん。ピッセ兄さんに手伝ってもらったの。こっちの花の名前はね――」
すぐ横に座り込んで覚えたての知識を披露するローフィは、村人から一番ビビに似ていると言われる子供だ。実際、今朝家を出るときもビビと全く同じタイミングで転んでしまった。彼女は美しいものや可愛らしい物が好きで、本人にその気は無いのだが、村一番の男前と呼ばれるニーシェの分も補うかのようにとても女の子らしい大人しくしなやかな性格をしている。
「すごく綺麗にできたね」
「うん!」
ビビが花輪を自分の頭に戻し、花輪から落ちてしまった1輪の花を髪に挿してあげると、ローフィはさらに笑みを深くする。
そのとき、花を潰さないようローフィの頭の上に柔らかく手が乗る。
ビビとローフィがその手を辿ると、自分の帽子の他にもう1つ帽子を抱えたレオが立っていた。
「お父さん、そろそろ帰らないとニーシェが暴走するんじゃない?」
「そうだね。じゃあ、帰ろうか」
ビビの声が聞こえたのか、傍にいなかった4人も立ち上がり、持ってきた物をしっかりと片付けてから村への小路を辿る。
空になったとはいえ7人分の飲み物が詰まっていた水筒を入れても壊れないところを見ると、カルノはしっかり籠を直せたらしい。達成感に満ち満ちた表情を浮かべているし、間違いない。
(カルノが必死になって籠を直したのは、たぶん、あのジェノムが笑っていたからなんだろうな)
ジェノムが黒魔道士の村に来てから随分と時間が経ったが、それでもまだ彼らは個人としての自覚が持てないうえに名前を付けられることに抵抗があるらしい。しかし、ずっと無表情を貫いていた彼らが最近になって笑うようになってきた。
以前それを指摘したところ却って表情を硬くしてしまったので、そういうことは言わないようにするのが暗黙の了解となっているのだが、指摘する必要がないほど笑うのが普通になればいいとビビは思っている。
「うわっ!」
考え事をしていたら足元が疎かになっていたようだ。気付けばビビは見事にすっ転んでしまっていた。
「お、お父さん、大丈夫?」
「お父さんったら、寝ぼけてるの?」
「最近よく転ぶよねー」
そう言いながらも立ち上がらせたビビの服を兄弟が仲良く整えてやり、転がしてしまった花輪や散った草花を拾い集める。
礼を言いながら両手で帽子のつばを掴んで下げると、ビビは子供たちに気付かれないように微笑んだ。
一緒に旅をして誰よりも近くにいた仲間たちは、ビビが起き上がるのを待ってはくれたが手を貸したり服を払ったりするようなことはしなかった。それは別に不親切というわけではなく、互いに互いを認めて精神的な支えとして在っただけだ。ビビにとっても、決してそれが嫌だったわけではない。
それでも、こうして自分を甘えさせてくれる子供たちが嬉しく、なにより愛しかった。
「ありがとう。大丈夫だよ」
春が行く。
夏が来る。
近づく。近づく。時が近づく。
彼らが笑った。
彼が転んだ。
近づく。近づく。時が近づく。
足音が聞こえる。
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